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竹内好かく語られ記

竹内好への弔辞


 

竹内好への弔辞

久野 収

 竹内好さん、あなたの突然の逝去によって、われわれはいま、自分の内側に大きな空洞の生じるのを感じ、深い悲しみにとらえられています。

 魯迅の翻訳を中途にしたままで、立ち去ることを余儀なくされた、あなた御自身にとっても、どれだけ残念であったでしょう。ボードレールやプルーストの名訳者であり、あなたと同じように、その名訳を途中でほうり出して、立ち去らなければならなかったワルター・ベンヤミンは、翻訳という仕事が原典の生命を別の国語、別の文化の中に再生させ、その生命をつづけさせるいとなみだといっています。あなたの魯迅の翻訳は、日本における魯迅の再生と永世を可能にするはずでありましたから、その中絶は取り返しのつかない損失であります。

 その上、毛沢東思想のこれからについても、われわれはあなたにもっともっと教えを乞いたかったのですから、その残念さはとても言葉につくせません。

 あなたと同年代でありながら、ナショナリズムを国家主義やファシズムと単純に同視し、ナショナリズムにインターナショナリズムをただ対立させるだけで、反ってナショナリズムを国家主義やファシズムにとられてしまった私自身は、あなたから国家機関や国家機構を解体させ、再組織するナショナリズムの存在様式を教えられ、眼のうつばりがとれるのを感じました。インターナショナリズムにしても、そのような各々のナショナリズムのインター以外にはありえようはずがないと思います。ナショナリズムの力の論理から大同社会の連帯の論理へどう出てゆくかの問題が残されているにしても、この真理は疑えません。この方向でも、われわれ、国民は、あなたから、なお多くのものを学ぶ必要がありました。

 中国の文化革命についても、あなたは、〝紅〟、すなわち革命的イデオロギーと、〝専〟、すなわち専門的技術との対立と葛藤、この両方を統一する党、すなわち指導者の立場だけで考えるのではなく、そこに〝民〟、すなわち一般人民の立場を入れて、考えをすすめられたのではないかと思います。でなければ、指導者意識、指導者根性に対する、あなたのあれほどねばり強い批判は出て来なかったでしょう。ファシズムの中からファシズムを超え出ていく一般人民の立場をとり出し、コンミュニズムの中から、コンミュニズムを超え出ていく一般人民の立場をとり出される、あなたの情念と論理は、全国民が学びとらなければならない姿勢そのものでありました。

 書物におぼれるよりも、現実との対決をえらび、あとで書物に戻って、書物を読み直し、新しい諸発見をとり出したあなたは、対人的情誼や信義を重んじながら、事柄の折り目やすじ道を正すことを忘れず、その上に人権や正義の実現を計られたという意味で、まことに人生の生き方の一つのモデルであったと思います。あなたの六〇年安保闘争の正面の敵手であった岸信介氏が、その後、あなたのアジア認識を聴講したいと切願したという話を耳にしたことがありますが、そういう話があっても少しも不思議ではないでしょう。

 あなたの欠落の場所をふさぐことは、他のだれをもってしても出来ません。その意味では、あなたの逝去をいたむ思いは、これから反って深まりさえするのではないかと思われます。

 ただ一つの慰めは、あなたを尊敬し、研究し、あなたから学ぼうとする後嗣者たちが実に多く輩出している事実です。生前からあなたほど、若い人々に注目され、論議された人物は、他に例がありませんでした。私は、この後嗣者たちのむれが、あなたの残された仕事を引きつぐことを信じて、疑わないものです。では、竹内さん、後輩の諸君の活躍をいつもの温容と同時に、きびしいまなざしで見守って下さい。われわれ、同年代の同僚は、〝成熟〟とは何かを身をもって教えてもらえなくなったのにほぞを噛む思いでいます。

初出:『展望』一九七七年五月号 底本:『久野収セレクション』岩波書店、二〇一〇年年五月一四日 第一刷発行

この文章の掲載にあたっては、久野芳子さんのご了解をいただきました。

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