本文へスキップ

父の思い出

スキーとヒヤシンス ―雪の時間 冬のおわり―


 

スキーとヒヤシンス ―雪の時間 冬のおわり―

田沢湖でスキー春山スキー行で真っ黒に日焼けをし、ひと冬撮りためた8ミリフィルムやスライドの上映会が、冬のしめくくりにわが家でひらかれるころ、学校は新学期になっていました。同行の面々の集まる上映会は、酒席で盛りあがります。父はそのつど失敗談があり、暴露をされておおいに酒の肴にされていました。

この上映日に期して、父はフィルム構成に凝り、最新の映写機をそろえました。いよいよ父のもうひとつのたのしみが始まります。暗くした部屋に、映写機がまわり始めます。スライドのガシャッと入れる音がきこえます。白壁に四角く明るい一点を、みんな集中して見守ります。おもむろにナレーターを務める父。スキー行の再現をする父の声は明るく早口になり、じょうぜつになりました。

しかし、思わぬハプニングも起きました。写しても、写しても、四角い画面は全編ピンぼけ、真っ白…… 父はだんまりになり、暗い部屋はしーんとして、あっという間に酒席はおひらき、になったこともありました。


ヒヤシンスの小鉢ストーブをたく時間が短くなってくると、父はヒヤシンスを片づけ始めました。出窓の下の室で、球根はねかされました。ガラス鉢はきれいに洗って、あけはなたれた窓のそばに干されました。雪水をすいこんだスキー道具も、全部庭に干されました。板裏に残るワックスをとり、布でふき、油をさし、風にあて、細々(こまごま)としたものひとつひとつをていねいに手入れをして、乾かしました。初夏の風を感じるころ、スキーは書斎の奥に、ガラス鉢は北隅の棚に並べ戻されました。

1976年秋、武田泰淳さんとおわかれをした父もまた病にふして、この冬、わが家の居間にヒヤシンスは咲きませんでした。スキーの道具も冬の陽を浴びませんでした。


父と別れて三十年近く、久しぶりに訪ねた書斎で、ヒヤシンスのガラス鉢は2鉢だけ、北隅の書棚にうすくほこりをかぶってねむっていました。スキーの板とくつも、ひとそろいだけ、書棚の一番奥に立てかけてありました。

父の日記<転形期>には、ヒヤシンスの成長を気にかける記述がたびたびあります。スキーのことにも、多くの行がさかれています。愛用のもう一対のスキーは、筑摩書房の中島岑夫さんのご厚意で、長野県野沢温泉のスキー博物館に収められ、ねむっています。

竹内好が愛用したスキー用具
竹内好が愛用したスキー用具


ナビゲーション