紙魚 -晩秋のアルバイト-
父が元気なころ、わたしは書斎の本の虫干しを一冊5円か10円で、毎年請け負っていました。庭の柿の木が全部の葉を落とし、さっぱりと広くなったところに、書斎から一冊ずつ持ち出してきて、はたいて、並べて、風を通します。
それから書斎の本棚を掃除し、戻す本にも古布をあてます。糊付けのところは布の角で、隅の方までていねいにぬぐいました。朝から始めて、夕方には本棚にきれいに戻すのです。父はその間、本の整理もしていました。ちいさいころは兄妹総出で、わいわい運ぶだけでしたが、十代も後半になると手際も覚えて、わたしひとりの割のいい、たのしいバイトになりました。
そうやって父の本を手にとりながら、全然読まなかったのですから、何をかいわんや! 父はかなしかっただろうなあ、、、 しっかりバイト料だけ、目当てはそれだけでした。
ある時、持ち出した本の間から変な虫がはい出してきて、ぷ~んと飛んで、父の耳の中に入って行きました。あ~っと見とれていましたが、父は気がつかない様子で、わたしの横で取り出す本を開いています。
びっくりしてわたしは、しばらくちらちらと父をうかがっていましたが、それきり虫は出てきません。気持ち悪くないのかなあー がさごそしないのかなあー 本より父の耳の方が気になって、庭に運んで行けなくなりました。なかなか手の動かないわたしに気づいて、「どうした?」と、父が訊きました。
「パパ、耳の中、変じゃない?」やっぱり訊いてしまいました。
「耳の中?」と父。
「うん、耳の中。今ね、ちっちゃーな虫がパパの耳の中に入って行ったよ。」
まじめに心配して答えると、父は、「そうか?」そう言って気にも留めず、本に手を伸ばしてまた作業を始めました。
それ以上言うこともなくなって、わたしも作業を再開しましたが、頭の中では、‘あの虫はどうなったか’そればかり考えていました。父は平気な様子でした。
その晩、虫のことを母に話すと、母は全然驚かなくて、「パパの耳に住んでる虫よ。」というではありませんか。
母は何度も見たそうです。出たり入ったりしているのを。母は宮本武蔵ばりの虫叩き名人ですから、その虫を一発で仕留めようと身構えました。
そしたら父が、「殺してはいけないよ。」と、母に声をかけました。「自由にさせてやるさ。」と。
それ以来、母は父の耳かきの時に、先に懐中電灯をあてがって、虫に退避を勧告したそうです。父の耳は大きくて、耳穴もまっすぐに中までみえました。ぷ~んと出入りするのに、支障はなかったのでしょう。
晩秋の虫干しは、きっと‘紙魚’退治だったと思います。‘しみ’って、飛びますか?
あの虫は、なんという虫だったのか、母に訊いても、「知らないわよ!」つれない返事しか聞いていません。