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父の思い出

青空のピラカンサ ―吉祥寺の庭―


 

青空のピラカンサ ―吉祥寺の庭―

武蔵野の台地から、房総の船橋に移って三十年になる。今住んでいる部屋の北の窓から、農家の広い庭先が見える。少しだけ畑地を残すその農家の、日当たりのよい庭には、さまざまななり物の樹が植えられている。
ピラカンサ
西の隅に細い柿の木、中央には大ぶりな紅梅白梅が。東側の栗の木の枝は、道まで伸びている。栗の木より更に東に、荒れた小山のように四方に枝を拡げて、ピラカンサが茂っている。

ピラカンサは初夏にむかって白い花を咲かせ、冬にむかうころには、朱赤の小さな実を枝いっぱいにつける。びっしりと連なって、サンゴのように見える朱赤の枝は、常緑の葉と相まって、青空の中にまぶしい。

落葉樹が葉の色を落とした中にくっきりと、遠目にも鮮やかなこの実をめざして、鳥たちがやってくる。冬を越える命を蓄えようと、枝にはいつも鳥の影がゆれている。


父と暮らした吉祥寺の家にも、小さな庭があった。庭には、なり物の樹がいく本もあった。1954年(昭和29年)12月 ここに小さな家を建てて、父はわたしたちを連れて、疎開先の浦和から越してきた。

まもなく家のまわりにぐるりと、なり物の樹が植えられた。北側にいちじくの木、東側に柿の木三本。東から南に順に、冨有 次郎 百目である。百目は東南の一等地に植えられた。

東隣の前田さんとの境は、竹の垣根になっていて、東南の垣根際に、背の高いポポの木が二本植えられた。ポポは雌雄のある木で、対に植えないと実を結ばない。なり物の樹の中で、唯一母の希望したポポの木。熟れると、なすび形のつるんとした緑色の皮の中に、強い黄身色のねっとりとした果肉ができる。更に南に白桃、白梅、西の離れの脇に紅梅が植えられた。

吉祥寺の庭 昭和37年頃
小さな庭にこれだけの木が植えられて、梅雨前の白梅の梅もぎから、夏の白桃、秋にかけていちじく、ポポ、次郎、富有、晩秋の百目まで。果物は庭でもいで食べるのが、我が家の日課だった。

ピラカンサの実は甘いのだろうか。青空に突き抜ける枝の先にいけるのは、鳥ばかりだ。オナガが来れば、枝はしなり、めじろが潜れば、気配もしない。

そうして青空に突き抜けていた枝は、正月を過ぎて色を失った。農家は少し土手の上にある。東の道端からピラカンサを見あげ、枝を透かして見ても、深緑の小葉ばかり。朱赤色は見つからない。厳冬となったこの冬、一粒残らず食べつくされたピラカンサは、鳥たちの胃の腑に落ちて、主たちの命をつないだ。

吉祥寺の庭に、栗の木はなかった。ピラカンサもなかった。冬に赤い実をつけるのは、青木の枝だった。椿や柊の枝に、もずが‘はやにえ’を差し込むようになると、父は庭の隅に鳥のえさ台を作った。母はそこに、ご飯粒やみかん、テールスープの牛脂を置いた。居間からは、冬の鳥たちがよく見えた。

武蔵野の台地の小さな庭に、鳥が来て、果物が成り、幼いわたしも育った。きょうも農家の土手の下を歩く。振り仰ぐと、高い生垣を越えて、ピラカンサが伸びている。しんとした枝の先に、青空がいっぱいにひろがっている。


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