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父の思い出

2010年のおわりに ―父と母とおれいにかえて―


 

2010年のおわりに ―父と母とおれいにかえて―

竹内好(たけうちよしみ)2010年はさまざまな年でありました。父は百歳となり、生誕の10月、小さな集いを持ちました。母は今年の春、33年の時を経て、父のもとに旅立ちました。

1910年のこの年のこと。そこから続く100年の日々。今年起きたことは、その100年のつながりの中にあります。父と、父の時代を記録する。このつながりを記録する。「竹内好を記録する会」は、101年も記録を続けてまいります。

みなさまには今年もたくさんのご協力をいただきました。こころからお礼を申し上げます。年のおわりに、ごあいさつにかえて、2010年はじめの「ねぎごと」を、あらためてここにしるします。

みなさまどうぞよいお年をおむかえください。



竹内好全集第七巻 (筑摩書房)

ねぎごと

竹内好

 正月になると思い出す一つのことがある。昭和十二年の正月のある新聞にのった野上弥生子さんの文章のことだ。「ねぎごと」という題であった。年神さまへの願いごとである。――今年が、どんなに悪い年であってもかまいません。大火事があっても、地震があっても、台風がきても、コレラとペストがいっぺんにはやっても、それはたえ忍びます。ただ、戦争だけはありませんように。

 昭和十二年は、全面的戦争のおこった年である。野上さんには、不吉な予感があったのだろう。私にも野上さんの願いは胸にこたえた。私は、その短い文章を切りぬいて、日記帳にはりつけておいた。戦争がはげしくなるにつれてその文章のことをよく思い出した。召集されて戦地にいたときも、その文章を思い出すといくらか心が落ちついた。

 二、三年前、ある座談会でその話をすると、同感する人があった。その人は私よりも詳しく野上さんの文章をおぼえていた。

 野上さんの文章を思い出さないようになるのが、いちばん望ましいのだが、それができないとあれば、一人でも多くの人が、野上さんとおなじような「ねぎごと」をすることだ。八千万の声を天にとどろかすことだ。今度こそ年神さまにこの願いをきいてもらわなければならない。


ねぎごと
1953年1月3日付け 朝日新聞「一言」欄より転載



< 解題 「一言」七題すべて『朝日新聞』(朝日新聞社刊)の「一言」欄に発表、『方法としてのアジア』にはじめて収める。それぞれの表題と発表日付は以下のとおり。

・資本家と学生  一九五二年十一月五日付
・厳格主義 一九五二年十一月二十六日付
・悪循環  一九五二年十二月十一日付
・ねぎごと 一九五三年 一月三日付
・年賀郵便 一九五三年 一月十六日付
・中国と中共 一九五三年 二月十六日付
・祖国の中の異国 一九五三年 四月二十四日付(飯倉照平)>


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