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父の思い出

クリームソーダ -くいしんぼの記憶-


 

クリームソーダ -くいしんぼの記憶-

強い日差しを避けて、建物の陰に立っていると、どっと風が吹き抜けていきます。秋の風です。

駅のコンコース 道の交差点 建物の角どこにいても あちらからもこちらからも大移動のように風が集まって、ひと方向にそそくさと抜けていきます。

人になんかかまっていられない! 行かなくちゃ! あいそのない風に追い立てられるように歩いていると、夏服を着ていることが、にわかにこころ細くなってくるのです。

秋桜今年も9月に入ると、この風が夏を押しのけて吹き始めました。風が私の鼻先に、クリームソーダの香りを残していきます。

巻き毛のようにやわらかく、くるくるとまとわりつく春風から、びしょびしょの手ぬぐいでなでられるような夏風を過ごし、このそっけない秋風に背中を押されるまでの私のクリームソーダのおはなしをします。

私はくいしんぼです。これは、まったく父ゆずりです。父の日記<転形期>に、私のくいしんぼは度々書かれました。

断りもなく、秘密の暴露、ひどいじゃないか! とうらめしく思っても、このくいしんぼが、私をおとなにしていってくれました。いろいろな思い出のほとんども、父といっしょのくいしんぼにあることも。


小学校を終えるころ、もうランドセルを背負うこどもじゃないんだ、二学年下の妹とは、全然うーんとちがうんだ、と急に大人ぶりたい気持ちがふくらんで、その実行の機会をうかがうようになりました。

この思い出の最初の場面は、春風の吹く東京の如水会館の食堂の光景です。父といっしょの席で、私はいつものアイスクリームを頼みませんでした。おとなになった証明をしようとしたのです。メニューをじっとみつめて、ソーダ水を頼みました。運ばれてきたソーダ水は、濃い緑色の中に黒ずんで見えるサクランボがひとつ。細かい泡が無数に立ち上っていました。

妹の席には、いつものアイスクリームが置かれました。銀の器に大きく半円に盛られているアイスクリーム。横には厚いウエハースが添えられています。如水会館のアイスクリームは、なめらかでしっかりとした甘味があり、スプーンが貼りついてしまうほどです。こころもち力を入れてすくわなければなりませんでした。

スプーンをしっかりと握って食べている妹の口元、サクッと割れるウエハースの音を聴いていたら、誇らしい気持ちは吹き飛んで、わーんと泣き出したくなりました。父はゆっくりビールを飲んでいます。初めてのソーダ水は、おいしくもなんともありませんでした。おとなの誇りと、くいしんぼの板挟み。夏の盛り お店に入って頼むのは、やっぱりソーダ水。おいしそうにビールを飲む父のそばで、後悔しながら、泣きたくなりながら、私は意地を通し続けました。


その日はもしかしたらプラネタリウムの帰りだったかもしれません。父とふたりだけの外出でした。明るい日差しの中に、もう秋風が吹いていました。渋谷の文化会館の食堂に座り、父はいつものビール、私は、、、と、いつものソーダ水を頼もうとした時、メニューを拡げて父は、「こんなものもあるぞ」といいました。そこには<クリームソーダ>と書かれてありました。

クリームソーダ? どんなものなのか、全然想像ができません。でもこの時は、素直に父に従いました。しばらくして運ばれてきたものは、いつもの緑色の上に、真っ白なアイスクリームがはみだすように乗っているではありませんか!
クリームソーダ
目の前に、奇蹟が起きました。

「早く食べないと、溶けるぞ」 父が声をかけてきました。「上から先にたべるといい」とも教えてくれました。

紙ナプキンに包まれたスプーンを手にとって、真っ白なアイスクリームに力を入れると、アイスクリームはほんの少し割れました。

驚きました! アイスクリームが割れるなんて! 「まわりから食べたらどうか」父がまた声をかけてきました。グラスからはみ出したアイスクリームをすくうように口に運ぶと、ザラッとした感触が舌にのりました。押さえつけてすくう如水会館のアイスクリームのようなねっとりとした味ではありませんでした。黄色味もなく、真っ白なアイスクリームは、氷水をすくうように、くずれないように食べることも、この日に学んだのです。

力を入れると割れてしまうアイスクリームでも、氷水のようにすくうアイスクリームでも、私にはおいしいおいしいアイスクリーム! 食べながら父を見て、ニッと笑ってしまうと、父も「ん!」とうなずいて笑いました。それからは、妹がアイスクリームを頼んでも、私は堂々と<クリームソーダ>を注文しました。泣きたい気持ちから、私は解放されました。


秋の風に、文化会館のクリームソーダの香りがしてきます。父が笑っています。


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