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つ む ぐ

八月 - 臼田 はじめての旅 -


八月 - 臼田 はじめての旅 -

おさないころ、父と土日の週末を過ごす習慣はありませんでした。

そのかわり、学校の長休み 春 夏 冬を、山や海に出かけました。

ひとつの思い出は、次々と繋がって、糸ぐるまをまわします。

臼田旅行


きょうは、この糸ぐるまの先のさき。

わたしの思い出の、ずっとその先のおはなしを。



1950年夏 父は生後6カ月のわたしと母を連れて、生母の墓参りに

長野県南佐久郡臼田町(現佐久市臼田)を訪れました。

これが、わたしの生まれて初めての旅です。




臼田町の立派なお屋敷には、父のいとこの竹内隣治郎あい夫妻と

こどもたちが住んでいました。みんなおんなの子です。


このお屋敷は、旧陣屋を移築しており、回廊のような廊下には、

横一列にずらりと畳が敷かれてあります。

各部屋には大きな段差があり、戦前はこの段差が家族の立場を決めていました。


戦後、このお屋敷の父の生まれた場所は他家に売られ、

残された半分が、竹内隣治郎さん一家の住まいでした。

父は隣治郎さんと仲が良く、終生、臼田を訪れて泊まっていました。



お屋敷中に敷かれてある畳は、東奥の厠にも敷かれていました。

八畳ほどもある厠で、幾枚もの戸を引いて、中に入らなくてはなりません。

庭には大きなくるみの木が何本もあり、

ひとの手のひらのような葉っぱが、夜の厠の窓にゆらゆらと、

おいで、おいで、をするので、ひとりではとてもいけない所でした。


厚い瓦を載せた立派な玄関は西にあり、

その横に二十畳ほどの台所がありました。

土を踏み固めた、でこぼことした土間で、中に井戸もあり、

土間の中を横切る小さな溝には、ちょろちょろと水も流れていました。

奥には冬の食べ物の野沢菜を漬ける樽が、いくつも並んでいました。




隣治郎さん宅近くには、{くるわ}と呼ばれる「竹内家一族の中の一族」が住んでおり、

道むかいの「竹の湯」は、その一族の<お風呂>となっていました。

「竹の湯」のひいおばあさんに抱かれている、わたしの写真が残っています。

髪を結った細い体のその方は着物姿です。  

ほかに写る女性もみな着物姿です。




その中にあって、母はペチコートのぱあっと拡がったワンピース姿。

白手袋 ハイヒール 大きなつばの帽子をかぶり、

にこりともせずまっすぐに立っています。



ーーー 「好さが、ガイジン、連れて帰って来たずら!」

またたく間に、母のことが知れ渡りました。



後年、母の話。

「わたしの後ろを、何人もの人がぞろぞろついてきた」

「ショートパンツもはいて歩いたわ」



父はどうしていたのでしょう、、、

また、母の話。

「なんにも言わなかったわよ」 

「竹の湯が好きで、何回も入りに行ってたわ あんた連れて」

1956年 長野県 角間温泉

そのわたしは、おんなの子なのに、なぜかまるぼうず頭に腹巻一枚の裸姿。

まるまると太って、ただただにこにこ笑っています。

このからだの向き、あごの引き方、

どこかで見たなあー    と、考えていて、あっと。


父の葬儀の時に使った、パイプを持って笑っている写真。

あれだ、、、

からだの崩し方がそっくりだ、、、



生後6カ月の好くんは、目もとに力のある、口元の締まった細い顔をしています。

わたしとは全然似ていません。


生後6カ月で、わたしは晩年の父にそっくりです。



ガイジンの妻と、まるぼうずの娘を連れて、

父は生地臼田町に、十四歳で別れた母に会いに行きました。


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