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「民主か独裁か」全文

民主か独裁か ―当面の状況判断―


 

「民主か独裁か」掲載にあたって

竹内好を記録する会は、「竹内さんについて語っていただくインタビュー」や「竹内さんについて語られている文章の収集」をおもな目標においています。ですから、ホームページには、竹内さん自身の著述としては「著者の言葉」しか掲載しておりません。

今回、ホームページへの投書で掲載の要望を受けました。会員で協議の結果、とくに反対の意見がありませんでしたので、リクエストのあった「民主か独裁か」を掲載いたします。
竹内好「民主か独裁か」

掲載する理由は、以下のとおりです。

1.この文章は竹内さんが本文で著作権を放棄しています。

2.しかし、現時点でネットではどこにもアップされていません(検索結果に出てきません)。

3.60年安保を象徴するキャッチフレーズとして、いまでも「民主か独裁か」が使われています。

 一例を挙げます。『経済成長って何で必要なんだろう?』(芹沢一也、荻上チキ編 光文社 2009年6月30日刊)冒頭の「序章 議論の前に」は飯田泰之さんと芹沢一也さんの対談ですが、37頁で芹沢さんが次のように語っています。

「本書の性格からすると、60年安保を話の起点とするのがよいかと思うのですが、あのとき対立していたのは二つの<政治>でした。戦後思想が理想化した民主的な国民国家の実現と、岸信介が望んだ戦前の国家体制への復古です。「民主か独裁か」というスローガンは、そうした二つの政治の衝突を表したものでした。」

 この本では、「民主か独裁か」が時代を象徴する「スローガン」としてあたりまえのようにに使われていますが、残念ながら、発信者である竹内さんのことには触れていません。数人いるこの本の著者たちは70年代生まれが中心の若い世代です。

 リクエストをいただいたとき、数ヶ月前にこれを読んでいたことを思い出しました。「民主か独裁か」が出典も書かれないで今後も使われていくのであれば、出典をあきらかにするためにホームページに掲載してもいいのかな、と考えたのでした。 
              
2010.5.16
竹内好を記録する会事務局  斉藤善行



民主か独裁か ―当面の状況判断―

竹内 好

 以下に述べるのは五月三十一日現在における私の状況判断である。状況は刻々に変っている。今いちばん大切なことは、状況に追いつき、状況を追い越すことである。そのために、この資料が、いかなる個人および集団によって利用されるのもいとわない。この稿に関しては私は著作権を放棄する。

 いかなる個人および集団も現在、全体の状況をつかむことは不可能だろう。完全な情報を得ようとすると状況に立ちおくれる。状況は複雑である。しかし一方からいうと単純化されている。全体をつかむ必要がない。部分に全体が代表されている。必要なのは想像力をはたらかせることである。

 民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない。この唯一の争点に向っての態度決定が必要である。そこに安保問題をからませてはならない。安保に賛成するものと反対するものとが論争することは無益である。論争は、独裁を倒してからやればよい。今は、独裁を倒すために全国民が力を結集すべきである。

 安保から独裁制がうまれた。時間の順序はそうである。しかし論理は逆である。この論理は五月十九日が決定した。

 五月十九日の意味転換をとらえることに、既成の政治勢力はおおむね失敗した。たとえば社会党 (民社をふくめて)は、この当然予想される事態をあらかじめ予想し、対策を立てておくことを怠った。そのため決定的な立ちおくれを招いた。共産党は、安保闘争そのものに消極的であり、国民的願望を体して献身するのでなく、自己の革命幻想のために国民的願望を利用する態度に終始したので、国民からの不信と内部分裂を結果した。総評および主要単産はこれも組織の弱体化をおそれて決戦を先へのばす利己的な態度があらわであった。そのため、労働組合は自分の利益のためにしか行動せぬ、頼りにならぬ、という印象を国民にうえつけた。これらが集ってファシズムの進行を容易にした。

 この指摘を私は非難のために行っているのではない。決定的な立ちおくれの自己認識から出発しないと、状況に追いつき、追い越すことができぬことを注意したいのである。むろん、激変後、立ちおくれは徐々に克服されつつある。しかし、立ちおくれの克服が、既成の型でおこなわれると期待するのは、想像力を欠いた官僚的思考の産物であって、幻想におわるだろう。政党も、組合も、大衆団体も、立ちおくれの克服の過程で脱皮し、体質を改め、指導権を交替することを余儀なくされるだろう。その困難な試錬にたえる組織だけが生きのびるだろう。

 歴史には断絶と飛躍がある。分裂をおそれて強くたたかえない、というのは組織の強化を自然成長性だけに頼る怠け者の思惟である。目的意識からする一挙の引きあげが同時に可能であることを忘れてはならない。もっとも、これは既成の指導者にできることではない。いまは新しい指導者がうまれる時期である。

 今後に予想される状況変化を段階に分けて考えてみたい。これは私の想像であって、情報の裏付けはまったくない。ファシズムの進行はおそらく次の順序によるだろう。まず警察力は限界まで動員される。警察全体が治安警察化される。これは間もない。第二段階は自衛隊の出動である。これも既定と考えていいだろう。しかし、これだけで独裁が完成すると考えるのは自他ともに甘いだろう。最後の段階は、駐留軍の出動ないし新しい派兵を予想しなければならぬ。これは当然、単独には不可能なので、国際紛争と不可分に結びついている。ここしばらくは、朝鮮と台湾から目をはなしてはならない。

 私としては、第二段階で状況に追いつき、できたら追い越さねばならぬと考える。そのためには、第二段階では、第三段階を予想して手を打たねばならぬ。第三段階で打つ手は何か。全世界の平和愛好者(アメリカをふくむ)によびかける以外にない。その用意は今からしておかねばならぬ。しかし、用意は別として、実行に着手することは絶対に禁物である。第二段階までは絶対に抑制しなければならぬ。国内問題を早まって国際化してはならぬ。それは民族を不幸におとしいれることであり、敵に乗ずるスキを与えることである。第二段階までは、いかなる外国の力も借りてはならない。中国の反米デモが、われわれにとって有利だと考えるようなドレイ的依頼心では、この困難なたたかいに勝てない。

 独裁に対抗する民主戦線の組み方はどうしたらよいか。まず最初に、国民の主権奪回の意志表示のための集会や行進が必要である。これはすでに開始されている。これを全国民的規模に拡大しなければならぬ。次に、第二段階として、主権者である意志を表明した国民のさまざまな集団(これは多様であるべきだし、多様であった方がよい)が、討議をおこなって、それぞれの政治要求を明示すべきである。共通の綱領は、独裁制の打倒、民主主義の再建であるが、その具体化、および具体化の手続きについては、集団の数だけ多様な要求があって然るべきである。次の第三段階では、目的および方法の近いものが漸次連合すべきである。連合の場合、かならず政策協定をおこなうべきであって、それぞれの集団の独立性をそこなう無原則の連合をおこなってはならない。また、ボス支配を警戒しなければならない。連合体の組み方も多様であっていい。

十一 現在議会はほとんど機能を失っているが、まったくなくなったわけではないから、いますぐ議会を否認するのは正しくないし、得策でもない。ただ、いまの議会を既成のルールで建て直せると楽観していると、ファシズムの進行に追いつけない。一方で人民議会と人民政府をつくる運動をすすめていて、その運動の中から、議会の再建を監視していなければならない。

十二 この運動をすすめるとき、既成の政党を頼ってはならない。ただ、個々の国会議員が、この運動に専門家として協力するならば、彼をボスとしてでなしに、運動体の中核にすえることは、運動の成長をさまたげないばかりでなく、能率をたかめることになるだろう。

十三 ファシズムの暴力に対抗する手段として、国民は労働組合に実力行使を要求する権利があるし、労働組合はそれに従う義務がある。実力行使は、ファシズム化の段階に応じて段階を設けねばならぬ。しかし、そのことは、ストライキを小出しにやるということとはまったく逆である。上からの指令による小出しのストライキは敵を助けるだけである。状況の変化に応じて、国民が何を要求しているかを鋭敏にキャッチして、その要求に見合った戦術を、あらかじめ立てておいた予測にもとづいて組むのが、すぐれた指導者である。

十四 このためには、権利としてのストライキを義務としてのストライキに内面転換する異常な決意と、すぐれた統率力が要求される。ある場合には、ストライキを打たぬことが最大の実力行使であるような非常事態にふさわしい行動の型が考えられねばならぬ。画一的な職場放棄など、教条主義の見本であって、反ファシズムの国民戦線にとっては有害無益である。

十五 日本のような独占の進んだ国では、普通のゼネストよりも、基幹産業、とくに運輸交通の中核の一点(たとえば東海道線)だけに集中してストライキをやり、全労働者はストライキをやらぬことによって精神的および経済的にこれを支援する(たとえばギセイ者に終身年金を与える)ような形が有効なのではないか。ただこれには、全労働者が職種や企業をはなれて、単一の労働者意識をもつことが条件になる。経済要求をからませなければストライキができぬような、一般市民から白い眼で見られるふぬけの労働者には、この英雄的行動は望めない。ただ、今が歴史の飛躍の時であることを知り、逆に行動によって労働者意識をきたえ、従業員意識から脱却させるような天才的指導者の出現を待ちのぞむだけである。

十六 デモや座り込みだけでは独裁化に対抗できない。それは人間を物理力や精神力に還元するだけで、総力の結集にならぬからである。専門を離れてはならない。持ち場で全力を発揮するのが大切だ。活動家だけが金も時間も頭脳も負担するのはよくない。金だけを出す人、頭脳だけを出す人、力だけを出す人があってよい。それが集って統一戦線になる。

十七 勝つことだけを目的にしてはならぬ。うまく勝つことが大切だ。へたに勝つくらいなら、うまく負けた方がよい。

(五月三十一日夕)
(『竹内好全集』第九巻 筑摩書房発行 所収)


竹内好全集 第九巻 解題(飯倉照平)より

民主か独裁か――当面の状況判断――  一九六〇年六月四日付『図書新聞』(図書新聞社刊)に発表。著者がこの稿に関して著作権を放棄したため、六月十三日付『日本読書新聞』そのほか若干の学生新聞などに再録された。『不服従の遺産』にはじめて収める。のち『竹内好評論集』第二巻「新編日本イデオロギイ」(一九六六年五月、筑摩書房刊)にも収める。次項に引く評論集の著者解題を参照。
(なお、二〇一〇年現在、市販されているものでは『竹内好セレクションⅠ』(丸川哲史・鈴木将久編 二〇〇六年一二月刊 日本経済評論社)に収録されている。)=この( )は竹内好を記録する会で追記

四つの提案  一九六〇年六月二日、文京公会堂で催された「民主主義をまもる国民の集い」の講演筆記に手を入れたものである。一九六〇年七月号『思想の科学』(第十九号、中央公論社刊)の「緊急特集・市民としての抵抗」に「戦いのための四つの条件」と題して発表、また一九六〇年八月号『みすず』(第二巻第八号、みすず書房刊)の「特集・危機に立つ日本の民主主義」に「民主主義再建のたたかい」と題して発表、『不服従の遺産』にはじめて収める。そのさい改題された。のち『竹内好評論集』第二巻にも、「四つの提案」の題で収める。評論集の著者解題には以下のように記されている。

〈〔「四つの提案」を〕筆記したのは、私の記憶では、みすず書房編集部だが、『思想の科学』には次のように記されている。「これは六月二日『民主主義をまもる国民の集い』が東京・文京区公会堂で行われた講演速記に竹内好氏が御自身手を入れられたものです。速記は岩波書店・みすず書房でとられたものですが、一日も早く誌上に収むることを望んで『思想の科学』に譲って下さったものです。記して感謝致します。」してみると、岩波とみすずと両方だったのかもしれない。〉

〈この二つ〔「民主か独裁か」と「四つの提案」〕は、書くとしゃべるのちがいはあるが、内容はほぼ同趣旨であって、のちにブント派から、安保と民主主義を切り放して戦線を分裂させたとして、非難されるキッカケになったものである。たしかに、目標を縮小することによって動員の幅をひろげるという戦術的配慮もなかったわけではないが、戦術を除外しても、「市民主義」の名で呼ばれるようなものが要素としては私に内在していることは否定できない。私はやはり本心を語っていると自分で思う。
 ただ、弁解させてもらうならば、分裂は結果論である。「市民派」とよばれるものが、派として存在したと私は思わないが、傾向としてなら認めてもよい。その市民派が、戦線分裂を意図した、というブント派の主張は承服しがたい。批判は結構だが、批判がコロンブスの卵であっては困る。

「大事件と小事件」〔本巻後出〕にも書かないで伏せてあることだが、五月の末のある日、私はある会合に招かれて出席した。その席で吉本隆明氏と激論になった。若い連中もみな吉本氏の味方で、私は孤立無援だった。清水幾太郎氏も同席だったが、清水氏は一言もしゃべらなかった。議論の内容は省くとして、対立の要点は、私がプログラムの必要を力説し、彼らが、その必要を感じていない、というよりもプログラム無用説だったことにある。それは私に、無鉄砲で、アナキイという印象で受けとられた。最後に、では双方わが道を行くほかない、ということで私は会を中座した。

プログラムが必要だが、その必要なものが手に入らない、という窮地に私は立たされていたわけだ。必要の有無を論じたり、作製の手続きを論じたりしていては急場に間にあわない。提唱と同時にモデルを示さなくてはならない。そのために、ちょうど寄稿の約束のあった『図書新聞』の紙面を使った。これが実情である。

私はかねて、自分の手で記録づくりをやりたいと思っていたが、もうその力がなくなったようだ。もしかして若い人が研究してくれるなら、という心頼みでヒントだけを示しておく。今から思うと「民主か独裁か」は、無署名か仮名にすべきだったかもしれない。記録づくりはやれても、怪文書づくりがやれぬのは、われわれ仲間の弱点なのだろう。〉

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