・私の定義によれば、批評とは、自分にとっていちばん大切なものを棄てる行為なのだ。(自画像)
・私など中国のことを勉強していると、中国を知るためには朝鮮を知らなければならぬと痛切に思うことがある。(金達寿著『朝鮮』)
・私の意識の底に、ディレッタンティズムは文学の敵である、という信条がいつとはなく形成されている。(教育者としての目加田誠さん)
・辞書あって人生は楽しい。ことに小さな辞書は楽しい。おれだって辞書だぞ! そう彼は叫ぶ。よろしい。おれだって人間だ!(辞書あって人生は楽しい)
・人生にこりるほどまだ人生を経験していません、というのが私の内心の回答である。(スキー頌)
この言葉には「注」が必要かも知れぬ。『竹内好全集』13巻参照。
・私はかねて、仕事というものは、それが必要ならば金はかならず集まるという楽観論をもっている。だから金の心配はしない。ただ自分の生活費は、それとは別に、自分でかせぎ出さねばならない。そのために翻訳を生活手段としてえらんだ。(魯迅友の会・会報・第28号・雑記)
・人間は、自己以外のものに働きかけ、それを変えることによって、自己そのものを変えていく。自己を変えずに相手だけを変えることはできない。(文学革命のエネルギー)
・われわれの世界地図が不正確であり、世界像がアンバランスであることを自覚するために、明治時代の本、とくに政治小説を読むことをおすすめした。(アジアの中の日本)
・人はタブラ・ラサではない。教育とは加えることではなくて、変革することである、というのが私の信条である。(中国を知るために)
・ついに呉下の旧阿蒙であったのか、という気がしきりにする。(中国を知るために)
・文章は本来、対話の形で成り立つのではないか、ということである。(人と人との間)
・亡国の民は、亡国の歌をうたうよりほかになすことがない。(六〇年代・七年目最終報告)
・日本人の戦争体験は『平家物語』や『方丈記』を超えることはできない、というのが小林秀雄の先取りした戦争体験論だった。小林に名を成さしめてはなるまい。(戦争体験」雑感)
・ことばの背後には実体がある。実体をぬきにして、ことばだけを取りあげるのはよくないわけですが、逆に言葉を手がかりにして実体のほうに接近することもできる。(人間の開放と部落解放運動)
・いわゆる文化人には、頭だけがあって手足がない。(せまい経験のなかから)
・持続的な仕事には、中間に歩く時間をはさむのが有効だという経験則が私にあるからだ。(交友四十年)
・読書のたのしみは少年と老年にあるようにおもう。(読書の習慣)
・メモと、下書きと、活字と三つの顔をもった『おれ』はいったい何者だといいたくなる。(日記について)
・魯迅の入門は、各人が魯迅の歩いた道を自分で歩いてみることからはじめるよりほかにないと私は思っている。(魯迅入門)
・魯迅の文学の出発点は、ある暗さの意識と、その暗さから逃れたい、しかし逃れることはできないという意識の、相克の発する叫びである。(魯迅入門)
・自分では何もしないで、永久に与えられるのを待っている姿勢、他人の観賞によりかかる姿勢は、立場はどうあれ、花鳥風月ではないだろうか。(魯迅雑記Ⅱ)
・私は、魯迅という人間の像を考えると、波を立てぬ大海の静もりのようなものを感じる。調和した矛盾の塊、それ自体がアンシャン・レジームである新精神、そのようなものであったのではないか。(魯迅雑記Ⅰ)
・日本文学史を書きかえることなしに魯迅をよむことはできない。(魯迅雑記Ⅰ)
・文学者となるために、何を棄てねばならぬかを、私は魯迅について考えているのである。(魯迅)
・原体験は外に求めるまでもなく、身辺にころがっている。あとは類推能力だけだ。(魯迅雑記Ⅲ)
・日本人として中国を考えるのに、国家や政党でなしにまず民族、民衆を念頭におくべし、という私の考えは、今でも訂正が不要であるばかりでなく、ますます必要であるように思う。(「現代中国論」中国新書版・あとがきの追加)
・漢民族の固有の歴史観は、循環論または交替論である。AがBに変り、BがまたAに変るという図式であり、興亡とか、一治一乱といった成語で表現されるようなものである。(日本・中国・革命)
中国を知るために より
第1回
・勢いは乗ずべきものであって、避くべきものではない。万全の用意を待ったのでは飛躍はできない。
・未来は未知であって、未知の世界はおそろしい。
第2回
・民衆の生活を知らないで文学研究はできない。あらゆる手段をつくして、生活を知ることに努めなくてはならない。
・パール・バックの『大地』を、私は中国を舞台にした西部劇だと思うが、多くの読者は、そこに中国の生活があるように幻想している。
・特殊は普遍あっての特殊なのである。
・われわれはじつに中国のことを知らない。それはもう驚くほど知らない。そして知らないことを十分には自覚していない。まず知らないことを自覚することが「知るために」何よりも必要である。
第3回
・非政治的なものが政治的にあつかわれる、というのが東京の宿命かもしれない。
・政治は政治の場所で、評論は評論の場所でやればよいので、だからこの雑誌はできるだけ非政治性を特色にした方がよいと私は思う。
第4回
・コトバの問題はむずかしい。音だけでもむずかしいが、文字が介入すると、もっとむずかしくなる。歴史が加わると、さらにさらにむずかしくなる。
第5回
・質問には設問者の人格や能力がそのままあらわれることが多い。試験問題を作らせてみると教師の質がわかる。教師は学生を試験しているつもりだが、学生は答案によって出題者を批判する。
・人はタブラ・ラサ〔白紙状態〕ではない。教育とは加えることではなくて、変革することである、というのが私の信条である。「知る」とは、ある意味では奪うことである。
・断層は世代の間だけにあるのではない。世代もまた一つの例である。
・知らないことは、わるくない。知らないほうが自由である場合が多い。
・漢字を二つなり三つなり組みあわせれば語になるという通念は、いつの間にかわれわれを支配しているが、中国にはそういう通念は存しないし、将来もおこりうるとは思われない。
第6回
・「中国を知るために」政治の門から入るべきではない、いや、政治の霧を透視するためにこそ「中国を知る」ことが大切なのだ、というのが私のそもそもの前提である。
・世界から中国でないものを排除していけば、最終的に中国に行きつく。逆にいうと、中国を知ることによって中国以外のものを知ることができる。右まわりと左まわりは極限で一致する。
第7回
・日本の文字が日本の文字として独立すること、それによって日本人の思想が独立すること、これが日中関係の改善にとって一つの前提でなければならない。
第8回
・読んでくれる人がいるなら、書かなくてはならない。まして、お金を出して買ってくれる人がいるからには。
・この文体が日本人の認識構造を規定しているのではないか。あるいは、認識構造が逆に文体を生み出すのではないか。
・これも何度も書いたことだが、日本人が中国を知ることの意味、また、知る方法は何かということだ。そして私の出発点であり、結論でもあるものは、人それぞれに中国を知っていると思い込んでいることが禍だ、という一点につきる。言いかえるならば、知るとはイメージを変革することなのだ。
第10回
・インテリは言語の二重生活に慣れているが、民衆にそれを期待するわけにはいかない。そしてそれは正しい。
第12回
・コトバと実体とは一致しないのが常だ。しかしコトバは実体と無関係にあるのではない。
・擬似アカデミイは所詮アカデミイではない。
第15回
・中国人において、国家は絶対に自然存在ではない。中国の民族性において、この伝統は最後まで残ると私は想像する。
第16回
・もう少し説明を加えると、中国人にとって国家とは、選ぶべきものである。選んだ経験があるし、将来も選びうるという考え方が習性化している。しかし日本人にとっては、国家はほとんど自然の所与だ。いや、国体という固い物体とほとんど同一化されている。そしてその心的傾向にもとづいて、外国を見ようとするぬきがたい習性がある。
・人間は、国がちがうだけで、仏になったり鬼になったりするはずはない、と私は思う。いわんやイデオロギイの差においてをや。これは卓見でも何でもない。平々凡々なことだ。その平々凡々なことが、時として見失われるのがおそろしいのである。
第17回
・侮辱が問題になるのは、主観の意図においてではなくて、受け取り手の反応においてなのだ。しかも、その反応を測定することは、きわめて困難だ。
第18回
・誤解するのは誤解するやつがわるい、敵視しないとオレが言うんだから信じろ――これではコミュニケーションは成立しない。これこそ最大の侮辱だ。侮辱するぞ、と言って侮辱するのは、まだ罪が浅い。おれは侮辱していないぞ、と口に出して言うほうが、相手に与える傷はいっそう深い。
・コトバは事実に直接対応するものではない。名と物、言と行の問には距離がある。しかし名は、物と無関係にあるのではない。
・人はタブラ・ラサ〔白紙状態〕であることはできない。偏見から自由であるはずがない。偏見を自覚することが大切だ。
第19回
・文章を書くためにはまず思想がなくてはならぬが、思想だけではうまい文章は書けない。
第24回
・歴史は一面では断絶しているが、同時に一面では連続している。連続の面だけでとらえられぬと同様に、断絶の面だけでとらえることもできない。
以上、第28回まで