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第ニ期 活動報告

第ニ期竹内好を記録する会 -会活動内容-



第二竹内好を記録する会メール 総目次

目次
第二期竹内好を記録する会メール 第01号 2
第二期竹内好を記録する会メール 第02号 8
第二期竹内好を記録する会メール 第03号 9
第二期竹内好を記録する会メール 第04号 11
第二期竹内好を記録する会メール 第05号 12
第二期竹内好を記録する会メール 第06号 14
第二期竹内好を記録する会メール 第07号 15
第二期竹内好を記録する会メール 第08号 16
第二期竹内好を記録する会メール 第09号 17
第二期竹内好を記録する会メール 第10号 Ver.5 18
第二期竹内好を記録する会メール 第11号 Ver.1-1 19
第二期竹内好を記録する会メール 第12号 21
第二期竹内好を記録する会メール 第13号Ver.1 22
第二期竹内好を記録する会メール 第14号Ver.2 2013年4月10日 23
第二期竹内好を記録する会メール 第15号Ver.1  2013年7月18日 24
第二期竹内好を記録する会メール 第15号別冊 蘭印探訪記 25
第二期竹内好を記録する会メール 第16号Ver.1 26
第二期竹内好を記録する会メール 幻の第17号Ver.2 27
第二期竹内好を記録する会メール 第18号Ver.1 28
第二期竹内好を記録する会メール 第19号Ver.1 30
第二期竹内好を記録する会メール 第20号Ver.1 31
第二期竹内好を記録する会メール 第21号Ver.1 32
第二期竹内好を記録する会メール 第22号Ver.1 33
第二期竹内好を記録する会メール 第23号Ver.1 34
第二期竹内好を記録する会メール 第24号Ver.1 34
第二期竹内好を記録する会メール 第25号Ver.1-1 36
第二期竹内好を記録する会メール 第26号Ver.1 38
第二期竹内好を記録する会事務局通信 第27号  Ver.1-4 39
第二期竹内好を記録する会事務局通信 第28号 Ver.1-3 40
第二期竹内好を記録する会事務局通信 第29号  Ver.1-2 40
第一期の総目次<抜粋> 42


第二期竹内好を記録する会メール 第01号

事務局より

 明けましておめでとうございます。

(第一期)竹内好を記録する会会員から、今後「送って来るな」というお言葉もありませんので、またメールですから放っておいていただいても、置き場に苦労する(かな?)こともないでしょう。そのように判断して、引き続き「第二期竹内好を記録する会」の資料を配信いたします。

 もしご不要でしたら、お知らせ下さい。配信を打ち切ります。

 これまで三年間おつきあいいただきありがとうございました。いまもたいしたレベルではありませんが、三年前のことを思うと、穴があったら入りたいくらい恥ずかしく、なにもわからないところからの出発でした。にもかかわらず、やさしいご配慮で、いろいろな資料をご提供いただきありがとうございました。

 また、予告していることで実現していないことも多いのことは承知しているのですが、いかんせん厳しい状況である製造業のただなかにおり、日々戦いの連続でして、(何との戦いかといえば、同業者との戦い、客先との戦い、そして借金との戦い。それらを同時進行で進めております)そんななかに新たな情報をいただき、かかずらわっているうちに、前のテーマが書類の下積みになって浮いてこないという有り様です。

 結果としてつまみ食いになってしまいますが、全体として一歩ずつ進んでゆけばよかろうという楽観的な見通しでお許しいただきたいと存じます。

 今後ともぜひご助言、貴重な資料のご提供をいただけますよう、切にお願いいたします。

 今回のメインは「竹内好とスキー行」です。添付をご覧下さい。

 なお、郵送は手間と費用がかかります。このため最小限の方にお送りしております。もし、パソコンでご覧になれない方にも情報を送りたいとお考えの場合は、それぞれご自身で写しを差し上げてくださるようお願い申し上げます。

 また、厳しく考えると、お送りしている文章によっては著作権の侵害をしてしまっている場合がありますので、その点もご考慮下さるようお願い申し上げます。

2012.1.2
--
斉藤善行 <maruzenkoh@nifty.com>

目次
1.本多裕子さんからの三年間への感謝 3
2.事務局から第二期へ向けて 5
3.インタビュー<竹内好と柿の会>資料 5
 第一期第63号で予告したとおり、第11回インタビューを開催しました。
ゲスト 丸山松幸さん、守屋洋さん、岸陽子さん、市川宏さん(柿の会のみなさん)
開催日 2011年11月26日(土)
事前に以下のインタビューに関わる資料を作成しました。
竹内好全集第17巻「年譜」より「柿の会」の記載抜粋 6
竹内好全集第16巻「日記」より「柿の会」の記載抜粋 7
1960年 7
1961年 7
1962年 8
1963年 11
1964年 16
竹内好「『中国の思想』監修者のことば」【竹内好の著作】 20
竹内好「『中国の思想』の読者へ」【竹内好の著作】 20
竹内好「後生畏るべし」【竹内好の著作】 22
竹内好「『魯迅友の会会報』第三十三号・雑記」【竹内好の著作】 23
竹内好「天下の珍味『史記』」【竹内好の著作】 24
竹内好「『十八史略』現代版」【竹内好の著作】 25
市川宏「弔詞」 25
市川宏「「ギ―」と「ギイ」―好さんのこと」 26
西野広祥「竹内好先生の霊前に <10月>不肖の弟子が買う①②」 27
守屋洋「あの頃の中国文学研究室」 27
岸陽子「春の別れ――竹内好先生を偲ぶ――」 29
岸陽子「翻訳恐るべし」 31
近藤裕「都立大・中文に学んだ頃」 34
松枝茂夫「竹内好のスキー術その他」 36
埴谷雄高「最後の四個月」 37
飯倉照平「『竹内好全集』の仕事」 44
飯倉照平「人々はつどい、かつ散ずる――竹内好さんとの十五年」 46
竹内好と研究会 2011.1123. 49
 竹内好は、というより、戦後から70年代までは、かもしれませんが、<共同研究>が数多くやられていますね。以前から、竹内さんが関わった<研究会>の一覧を作りたいと考えていましたが、新しい発見もあり、詳細な情報を加えてからにしようと考えておりました。今回は柿の会インタビュー用に『竹内好全集』「年譜」だけの情報で作りました。「年譜」を私の使っているソフト(マイツール)に落とし込んで、それをテキストデータに、さらにワードに。そして検索をかけるやり方です。レイアウト整理までの時間がありませんので<  >記号が残ったままでお見苦しいのはご勘弁下さい。手作業なので漏れはあるでしょうが、だいたいの流れはわかると思います。項目は年譜に初出した登場順です。また、末尾の数字は石坂さんが整理上振った番号です。
 2011年11月23日 竹内好を記録する会 事務局 斉藤善行
中国文学研究会 50
思想の科学の会 54
『文学』編集 55
中国近代思想史研究会(←現代中国思想研究会) 55
魯迅友の会 56
文学教育の会 56
孫文の研究会 56
憲法問題研究会 56
近代文学懇談会 57
安保問題研究会 57
安保批判の会 57
部落問題/差別を考える会 57
思想史研究会 58
中国の会(←「日本のなかの中国」研究会) 58
満州国研究会 60
武蔵野市立第四小学校PTA会長 60
朝鮮研究所創立発起人 60
小新聞の会 60
明治維新研究会 60
柿の会・北望社/『中国の思想』監修 60
六四会 61
日本中国文化交流協会 61
一日会 61
岩波書店の会 61
サロン火曜会 62
中国語講習会 62
竹内好「日記」1964年より【竹内好の著作】 62
 なお、2011年8月に、『竹内好全集』用ゲラで、収録されなかった1964年の「日記」が見つかりました。活字になっていませんので、見落としがあるかもしれませんが、「柿の会」に関わる記述を抜き出しました。 2011.1126
<柿の会の記載がある部分のみ抜粋>
4.<竹内好とスキー行> 65
編者注 66
 編集者注:「竹内好を記録する会」事務局として、竹内さんの人生を、ディテールにこだわって各種の記録を収集しております。ここには竹内さんとスキー行に関わる文章を集めました。
 スキー行に関して、竹内さんが五十歳から始められて、亡くなる直前のシーズンまで42回もツアーをされています。ここでいろいろなエピソードが生まれました。そこで「年譜」「日記」「語られ記」を適宜配置すれば、全体像がつかめるのではないかと考えていたのです。ところが「語られ記」の本数が思ったほどは集まらず、企画としてはお蔵入りになっていました。
 ところがここに来て新たな展開がありました。2011年11月26日の「柿の会インタビュー」で市川宏さんから、
【2011.11.20 竹内・松枝両先生の思い出版 五部限定発行】
をいただきました。正確には、限定5部の対象外だった記録探索グループ用にコピーする許可をいただきました。これは
【『よりぬき論語』-『論語』を描く会(ロンガッカイ)学習用】
という市川さんが作成されたテキストに、おもに竹内さんとのスキーの思い出の記述を挿入したものです。具体的にはテキストの中に◎の印付きで〔三畳間物語〕を、さらに〔三畳亭閑話〕を挿入してくださったものです。A4版で42ページにもなる長い作品です。たいへん面白い作品(というか教材)です。この中に竹内さんとのスキーの思い出が多数記述されており、そのお陰で先の企画がお蔵入りから復活することになりました。ということで、市川様にはたいへん恐縮ですが、ここでは、〔三畳間物語〕〔三畳亭閑話〕からスキーについての記載だけを抜粋いたすこととなります。
 そのほか「語られ記」で収集した文章は、その都度出典を記載しました。また「竹内好を記録する会インタビュー」からも、未定稿を含めてスキーに触れている箇所を抜き出しました。
 そして、なにより竹内さんご自身のスキーに触れた文章が必須ですね。
 以上の文章をできるだけ、当該スキー行ごとに挟み込みました。竹内さんのスキーに関するスキー行全般についての記述は最後に掲載しました。

記載方法:42回にわたるスキー行を、まず「年譜」から引用します。回数は事務局が付けました。但し2回目と4回目だけは「年譜」から漏れており、市川さんの文章によっています。
 個々のスキー行は、見出しから始まり ①スキーの回数 ②『竹内好全集』第17巻「年譜」の記載(整理番号は「記録をする会」によるものです) ③『竹内好全集』第16巻「日記」〔全集に収録されなかった分で、収集ができた1964年の日記も一部含まれています。〕の記載 ④市川宏さんの〔三畳間物語〕〔三畳亭閑話〕からの抜粋文 ⑤「語られ記」および「インタビュー」からの抜粋文という順番で掲載しております。
竹内好「スキー頌」【竹内好の著作】 68
竹内好「わが老人スキー」【竹内好の著作】 69
スキー1回目 
【竹内好日記1961年】三月十五日(水)―三月十九日(日)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー②③④番外〕
インタビュー 松井博光「竹内好と都立大中文研究室」(未定稿) 
スキー2回目 
【竹内好日記1961年】四月三日(月)-四月五日(水)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー④〕
スキー3回目
【竹内好日記1962年】二月十八日(日)-二月二十一日(水)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑤〕
語られ記 岸陽子「翻訳恐るべし」
スキー4回目 年譜には記載なし
『竹内好日記 転形期』 一九六二年(昭和三十七年)四月一日(日)-四月三日(火)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑤〕
スキー5回目 
『竹内好日記 転形期』 一九六二年(昭和三十七年)十二月二十七日(木)-十二月三十一日(月)【竹内好の著作】
『竹内好日記 転形期』 一九六三年(昭和三十八年)一月一日(火)―一月七日(月)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑤⑥〕
スキー6回目
『竹内好日記 転形期』 一九六三年(昭和三十八年)二月六日(水)-二月十日(日)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑥〕
スキー7回目
『竹内好日記 転形期』 一九六三年(昭和三十八年)二月二十一日(木)-二月二十六日(火)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー①⑥〕
松井博光インタビュー(未定稿) 
スキー8回目 
『竹内好日記 転形期』 一九六三年(昭和三十八年)十二月X日-十二月X日、一九六四年(昭和三十九年)一月X日【竹内好の著作】
スキー9回目 
『竹内好日記 転形期』 一九六四年(昭和三十九年)二月X日【竹内好の著作】
 〔三畳亭閑話・スキー⑦〕
スキー10回目 
『竹内好日記 転形期』 一九六四年(昭和三十九年)二月X日-三月X日【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑧〕
スキー11回目 
『竹内好日記 転形期』 一九六四年(昭和三十九年)三月X日【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑨〕
スキー12回目 
【竹内好日記1964年】〔竹内好全集に収録予定であった「日記」のゲラ〕四月二十二日(水)-四月二十八日(火)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑩】酸ヶ湯
インタビュー 立間祥介・檜山久雄(未定稿)
スキー13回目 
【竹内好日記1964年】〔竹内好全集に収録予定であった「日記」のゲラ〕十二月二十五日(金)-十二月三十一日(木)【竹内好の著作】
〔三畳亭閑話・スキー⑫〕苗場1
〔三畳亭閑話・スキー⑫〕苗場2
スキー14回目 
語られ記 橋川文三「竹内さんとスキーの話」
スキー15回目
〔三畳亭閑話・スキー⑫〕つづき
〔三畳亭閑話・スキー⑬〕小諸
スキー16回目 
スキー17回目
スキー18回目 
スキー19回目 
スキー20回目 
スキー21回目 
インタビュー 金子勝昭、野田祐次、安田つたゑ、重永博道「竹内好とサロン火曜会」 
スキー22回目 
スキー23回目 
スキー24回目 
スキー25回目 
スキー26回目 
スキー27回目 
〔三畳亭閑話・スキー⑬〕つづき
スキー28回目 
スキー29回目 
語られ記 斉藤善行「湯ノ丸峠スキー行のことなど」
スキー30回目 
スキー31回目 
語られ記 岡山猛「思い出すまま」
語られ記 金子勝昭「スキーとは滑らぬこととみつけたり」 
インタビュー 金子勝昭、野田祐次、安田つたゑ、重永博道「竹内好とサロン火曜会」 
スキー32回目 
〔三畳亭閑話・スキー⑬〕つづき
スキー33回目 
語られ記 金子勝昭「スキーとは滑らぬこととみつけたり」 
スキー34回目  
スキー35回目  
スキー36回目 
スキー37回目 
スキー38回目 
スキー39回目 
スキー40回目 
語られ記 橋川文三「竹内さんとスキーの話」
語られ記 松本健一「独立守備隊長の想い出」
スキー41回目 
語られ記 橋川文三「竹内さんの大きさ ガンと中国語とスキーと」
スキー42回目 
そのほかのスキー行に触れた「語られ記」
 1.岸陽子「春の別れ――竹内好先生を偲ぶ――」
 2.市川宏「弔詞」
 3.金子勝昭 「思い出という呪縛」
 4.松枝茂夫 「竹内好のスキー術その他」
5.『全集』未収録の竹内さんの文章 122
 岡田英樹 「ある中国文学研究者の「十二月八日」-竹内好の逸文から-」 『文学・社会へ 地球へ』西田勝退任・退職記念文集編集委員会編 1996年9月15日 三一書房発行
 上記に竹内さんの『全集』未収録の文章についての記述がありました。
(どなたかからご教示いただいたのだと思うのですが、失念しました。申し訳ありません。記録探索グループで、
1.いつか何号も閲覧していただきました『揚子江』ですが、どうやらアンケートを何回もやっていて、それに何回か竹内さんが回答しているようです。添付の文章は、その一つを取り上げております。
2.註4の円谷真護さんの『社会文学』の文章
 上記2点を探索していただければ、たいへんありがたいのですが。
という回覧を回して、新たな文章が見つけられないかを調査中です。)
6.トリビアネタ 122
① 粕谷一希さんの文章から
  → 添付2 粕谷一希の「取り消し」言及文20111212.doc
② 太田哲男さんの文章から
  → 添付3 竹内好と清水安三 2012.0102.docx
添付1 岡田英樹「ある中国文学研究者の「十二月八日」-竹内好の逸文から-」【竹内好の著作】 123
添付2 粕谷一希さんの「竹内好が文章を取り消した」という言及について 126
添付3 竹内好と清水安三 130
太田哲男『清水安三と中国』(花伝社 2011年11月25日発行)(P293-294)「竹内好の北京日記」
竹内好『北京日記』(清水が記載されている期間の全文)【竹内好の著作】
松井博光インタビュー「竹内好と都立大中文研究室」(未定稿) 2009年9月12日実施


第二期竹内好を記録する会メール 第02号
2013年2月28日
目次
1.ホームページの更新 1
2.岸田五郎さんからのご指摘 2
3.ユン・ヨイルさんから『韓国語訳 竹内好セレクションⅠ、Ⅱ』を受贈 4
4.第一期竹内好を記録する会会計報告 4
5.記録をする会日誌 2012年その1 4
【配信】 4
【記録探索グループへの配信】 5
1)『近代日本と中国』単行本未収録作品のワープロ変換の配信
2)野村浩一さん・丸山松幸さんインタビュー事務局編集版の配信
3)記録探索グループにも未配信ですが、柿の会インタビューのテープ起こしを少しずつ進めております。
4)石坂さんからの配信(ワープロ化)
 「語られ記」掲載文と『近代日本と中国』未掲載作品を除く
2012.0125 野村浩一インタビュー事務局整理版 2012.0124(縦組)
2012.0202 竹内好1974_『近代日本と中国』序(対校済)
2012.0205 全集未収録座談会「70年代のアジアと日本」1970年6月20日
2012.0205 近代日本と中国_索引(校正済)
2012.0207 竹内好「前事不忘、後事之師」(対校済)
2012.0210 安藤彦太郎_胡蘭成さん(タテ)
2012.0213 飯倉照平 「竹内好と武田泰淳」(対校済)
2012.0215 飯倉照平 「北京週報と順天時報」(対校済)
2012.0219 竹内好 「佐久を思う」
6.【付録】小型版『中国』の巻頭コラムについて 7
第02号附録1 第二期竹内好を記録する会「野村浩一さん・丸山松幸さんインタビュー」に事務局が付した注記(2012.2.26時点) 7
第02号付録2 第二期竹内好を記録する会メール 14
雑誌『中国』第1号から第7号の<巻頭コラム> 15
雑誌『中国』第1号<巻頭コラム> 1963年2月 16
雑誌『中国』第2号<巻頭コラム> 1963年3月 17
雑誌『中国』第3号<巻頭コラム> 1963年2月 17
雑誌『中国』第4号<巻頭コラム> 1963年5月 18
雑誌『中国』第5号<巻頭コラム> 1963年6月 18
雑誌『中国』第6号<巻頭コラム> 1963年6月 19
雑誌『中国』第7号<巻頭コラム> 1964年6月 19


第二期竹内好を記録する会メール 第03号
2012年3月23日
目次
0.事務局より 2
1.野村浩一さん、丸山松幸さんへのインタビュー 3
中国の会についてふれなかったこと(野村) 3
孫歌さんのこと(野村) 4
竹内さんとの出会い(野村) 4
孫文研究会のこと(野村) 6
竹内さんとの出会い(丸山) 6
竹内さんの中国語講義(丸山) 7
幻の『中国革命の思想』改訂版のこと(丸山) 8
中国研究所のこと(丸山) 8
学生一人が行方不明(丸山) 9
卒論が『歴史評論』に掲載(丸山) 9
野村さんの『康有為論』(丸山) 10
中国近代思想史研究会について(丸山、野村) 10
アジア・フォード財団資金問題でのこと(丸山、野村) 12
侯外廬(コウガイロ)氏を囲む会のこと(丸山) 14
都立大学の法学部での集中講義(野村) 14
歴史を可能性において捉える(野村) 15
中国の会の初めの頃(野村) 15
図書新聞で『魯迅』の書評をしたこと(野村) 16
満州国研究会のこと(野村) 17
竹内さんは右翼なんだ、と(野村) 18
胡蘭成氏と会った話(野村) 19
橋川さんの会話術(野村) 20
平野さん、京谷さん、(野村) 20
山口さん、倉石さん(丸山) 21
浦和と吉祥寺の竹内家(丸山) 22
『北斗』、そして柿の会のこと(丸山) 23
徳間書店『中国の思想』の翻訳作業(丸山) 24
<中国新書>を新島さんと(野村) 26
『講座中国』のむずかしさ(野村) 26
文革で竹内さんは迷っておられた(野村) 27
武田清子さんとICU(野村) 28
憲法問題研究会のこと(野村) 28
『アジア学の展開のために』(野村) 29
学問を離れた場面では(野村) 30
丸山真男さん、橋川文三さんのこと(野村) 31
竹内さんの絶筆(本多) 32
注 33
2.座談会 五・一事件と學生運動【竹内好の著作】 39
谷川徹三(法政大学教授)、戒能通孝(早稲田大学教授)、向坂逸郎(九州大学教授)、竹内好(慶応大学講師)、中野好夫(東京大学教授)
『世界』1952年7月号 岩波書店
一 問題の発端は何か 40
二 五・一事件と學生の立場 45
三 五・四運動から學ぶもの 49
四 警察力の問題 51
3.安藤彦太郎著『中国語と近代日本』に登場する竹内さん 55
「特殊語学」ということ(6ページ)
「民間」について(15ページ) 脱亜と興亜
中国語と目薬の関係(21-23ページ) 楽善堂の由来
「問答体」教本その後(45-46ページ) 『急就篇』を模倣した教科書
「目読主義」と「会話主義」(60-61ページ)
「唐音論」の伝統(2)(71-72ページ) 「唐音論」その後
中国語教育の流派(74-75ページ) 家元制
中国語教師の類型(81-86ページ) 竹内さんの批判/「イデアルティプス」
科学的研究の先駆(90-91ページ)
「沿線官話」(112-113ページ) イナゴの大軍
中国における新しい動き(132ページ)
屈折と模索と(2)(144-147ページ) 漢学の側から
「理論と実際」に投じた一石(150-153ページ) 倉石さんの「理論と実際」
発音表記の問題(168-171ページ)中国語のローマ字化
辞書について(186-191ページ)中国語辞典について
教養としての中国語(204-205ページ) アジアへの窓口として
4.記録をする会日誌 2012年その2 71


第二期竹内好を記録する会メール 第04号
2012年4月30日
目次
事務局より 3
1.この号のあらまし 3
2.立間祥介さん、檜山久雄さんインタビューの配信 3
3.大須賀瑞夫さんインタビューの配信 3
4.第二期記録探索グループ活動経過の報告 4
5.『竹内好全集』の「訂正一覧表」作成にご協力を 4
6.岸田さんからのご教示(その2) 5
岸田さんのご教示に触発されて、上記『転形期』の該当部分と、「語られ記」で収集ずみの安藤彦太郎さんの小文を添付いたします。→ 添付04-06 竹内好と胡蘭成
7.野村浩一さん、丸山松幸さんインタビュー初稿の訂正 5
 前号の「野村浩一さん、丸山松幸さんインタビュー初稿」の訂正 丸山松幸さんから訂正のご指摘をいただきました。 12ページ 誤り=学会 → 訂正後=学界
8.記録をする会日誌 2012年その03 5
添付04-01 立間祥介さん・檜山久雄さんへのインタビュー<初稿> 5
主催者より挨拶 6
1948年 中国文学研究会の末席に連なって(立間) 6
1954年『北斗』創刊のいきさつ(立間) 7
1952年から1959年にかけて(立間) 8
1964年のスキー旅行で(立間) 9
1965年『竹内好著作ノート』刊行(立間) 10
1954年河出書房『現代中国文学全集』と1962年平凡社『中国現代文学選集』(立間) 10
1971年復刻『中国文学』別冊(立間) 12
竹内さんとの出会い(檜山) 13
『北斗』のこと(檜山) 13
新日本文学会編集部と花田清輝さん(檜山) 14
囲碁の会(檜山) 16
中野好夫さんのこと、1952年懸賞論文のこと(檜山) 16
1952年中野重治宅訪問のこと(檜山) 17
箱根の日本棋院で(檜山) 17
再び花田清輝さんのこと(檜山) 18
中野重治さんと竹内さん(檜山) 19
立間さんの出身学校(立間) 19
中国語を勉強(立間) 20
1958年『三国志』の翻訳(立間) 22
再び竹内さんのこと(立間) 23
再び中国文学研究会の集まりについて(立間、檜山) 23
北斗と柿の会(檜山、立間) 24
倉石武四郎さん(檜山) 26
人民文学と新日本文学(檜山、立間) 27
1965年青年大交流(立間) 28
倉石研究室(檜山) 28
岩波書店(檜山、立間) 29
岡崎俊夫さんの葬儀(立間) 29
新日本文学会(檜山) 29
中野重治さん(檜山) 30
花田さんと埴谷さん(檜山) 30
添付04-02 大須賀瑞夫氏に聞く 31
竹内さんとの出会い 31
中国の会への入会 32
“雑用係” 33
茫洋たる大人の風格 34
忘れがたい松田権六さん 35
竹内さんにおける学問のあり方 35
見事な融合と果実 37
物から観察する 38
訪中団の経験 39
中国の大学にあった竹内さんの著作 40
木島則夫の鞄持ち 40
毎日新聞に就職して関西へ 41
竹内さんのふくみ笑い 42
こういう具眼の士が一人でもいたことを忘れてはならない 43
日本が中国に対して友好同盟条約を結びはしないか 44
大久保は四十万両を清国に返還することを主張した 45
橋川文三さんと萩原延壽さん 47
忘れていれば、やはり思い起こすべきだ 47
昭和の妖怪岸信介 48
里見甫はどんな人物か 49
これは阿片内閣じゃないか 50
大平首相と四人の閣僚の経歴 51
興亜院と影佐禎昭 52
そして満州での岸信介 52
昭和最大の怪物武藤章 53
岸回想録中断の真相 54
竹内好は岸信介とセットで記憶されてしまった 54
麻薬を侵略の手段に使ったことは日本資本主義の弱さのあらわれ 55
添付04-03 竹内好全集訂正版(最終配本にはさまれていたもの) 58
添付04-04 「年譜」訂正 『ちくま』1982年12月号 62
添付04-05  竹内好全集の誤植追加訂正 63
添付04-06 竹内好と胡蘭成 64
柿の会インタビュー関連資料 竹内好と胡蘭成
『転形期』より(1962年)【竹内好の著作】
安藤彦太郎「胡蘭成さん」
添付04-07 2012年の活動記録 その3  70
【配信】【記録探索グループへの配信】【ホームページの更新】


第二期竹内好を記録する会メール 第05号
2012年5月21日
目次
事務局より 1
1.小型版『中国』の巻頭コラムについて(その2) 1
 その後、尾崎秀樹さんがこれに関して触れている文章が見つかりました。というよりもさらに広範な内容ですので、全文を添付いたします。 添付1 → 橋川文三と雑誌『中国』.doc
2.竹内さんが出演したテレビ・ラジオ番組 2
 2012年5月2日記録をする会ホームページのアドレスに、法政大学の高柳俊男先生からお問い合わせをいただきました。先生にご了解をいただきましたので、そのやりとりをここでご披露いたします。
 なお、文中の<職場で来月開催されるシンポジウムのチラシ>も添付いたします。添付2 → 法政大学 上海シンポジウム 2012.6.30.doc
 また、現時点でわかっている出演情報のリストも添付いたします。添付3 → 竹内好のテレビ・ラジオへの出演2012.0521-1.doc
3.武田清子さんの竹内さんとの関わりについて 5
 とりあえず、いまの時点でわかっている内容を添付でご覧いただき、さらなる情報をお待ちいたします。 添付4 → 武田清子さんと竹内さんの関わり.doc
4.竹内さんの講演記録 6
 2011年8月に、本多さんが未整理のままになっている竹内好資料の一部について、三日間に亘って記録探索グループがその整理のお手伝いをしました。整理のメインテーマは数多く残っている写真だったのですが、写真以外のものもいろいろありました。そのなかに1972年8月福岡ユネスコでの講演の「テープ起こし版」原稿が出てきました。『全集』第3巻「魯迅と日本」のもととなった講演です。竹内さんが語られた講演をどのように文章化なさったかの一端を伺うことができます。「魯迅と日本」の対照部分と交互に並べたものができあがっております。ただし、この発表には少し工夫がいるようです。次号にはお送りできると考えます。
 これに触発されて多くが『全集』収録の対象外だった竹内さんの「講演」についてまとめてみました。「著作目録」「年譜」から拾いましたが、「日記(現時点で「記録をする会」が入手できているものはすべて閲覧しました)」「写真」に記載されたものを追加しました。この作業に思いの外時間がかかりました。まだ作成途中というべきものですが、今後これをベースに書き加えてゆきたいと考えます。 添付5 → 竹内好の講演記録 2012.0521.doc
添付1 尾崎秀樹「橋川文三と雑誌『中国』」 6
添付2 法政大学 上海シンポジウム 2012.6.30 12
添付3 竹内好のテレビ・ラジオへの出演など 13
「日記」「著作目録」「写真」で確認できたもののみを以下に記載した。「年譜」には該当する記載が見当たらない。このため1959年以前の情報は含まれていない。1965年以降も「日記」が公開されていないため探索の対象は「著作目録」「写真」に依っている。『転形期』の期間は整理推敲されているので抜けがあるかもしれない。この件について情報をお持ちの向きはご教示いただきたい。なお、当時の「ラジオ東京」「JOKR」「KRテレビ」はいずれも現在のTBSの前身である。<5.22追記 1957年1958年は「日記」ゲラより採取した>2012年5月15日 竹内好を記録する会 斉藤善行(5月22日追記あり)
<1957年7月1日 NHKの座談会に各務氏に迎えられて出席>
<1957年11月29日 NHKで日高氏と共に邱永漢“日本天国論”評の放送>
<1958年3月15日 NHKで「阿Q正伝」のよみ方ににつき放送>
<1958年5月19日 NHKの座談会に出席>
<1958年8月23日 NHKが録音に来る>
<1960年1月21日 ラジオ東京の人に会う>
<1960年3月19日 北海道放送で座談会>
<1960年5月23日 テレビと報道陣の取材攻勢>
<1960年5月30日 日本テレビに出演>
<1960年6月1日、2日 KRラジオの録音二回と放送>
<1960年6月4日 日本教育テレビ座談会、北海道放送座談会、九州ラジオ対談>
<1960年6月8日 KRテレビなどの電話取材>
<1960年7月8日 北海道放送の取材で談話>
<1960年12月9日 KRテレビの取材>
<1961年6月6日 中日放送のために録音>
<1962年7月6日 某ラジオから依頼、その後キャンセル>
<1962年11月21日 NHK受信料支払い拒否の文書>
<1963年1月12日 TBSで座談会>
<1963年1月18日 ラジオ関東の社員来宅>
<1964年5月30日 TBSテレビへゆく>
<1964年7月7日 TBSが取材にくる>
<1964年10月14日 TBSで座談会>
<1964年11月5日 TBSからの時評番組への出演を断る>
<1970年1月11日 毎日放送(東京12Ch)に出演>
<1970年6月1日 NHKに出演>
<1970年12月 毎日放送で武田さんと>
添付4 武田清子さんに関する「竹内好かく語られ記」その他 21
<語られ記><竹内好が参加した座談会><「竹内好日記」より><竹内好全集 年譜より><竹内好全集 解題より>
添付5 竹内好の講演記録(2012年5月までの探索時点で) 26
1947年~1976年


第二期竹内好を記録する会メール 第06号
2012年6月18日
目次
事務局より 2
添付1 柿の会インタビュー 守屋洋さん、丸山松幸さん、岸陽子さん、市川宏さん 5
はじめに 5
「先生を教員の集まりにぜひ呼びたい、それを取り次いでくれないか」 6
「守屋、じつはうちには中国文学をやっている人がいる」 8
「ただ一つだけ条件がある、それは監修・竹内好だ」 10
最初は希望だったんだ、何をやりたいか 11
それで先生は踏み切ったんだと思うんですね 12
これが竹内さんが訳したやつだってとき、彼はちょっと照れてね 14
彼は鼻ぱしの強い男だけに不満そう 15
だいたい泊まりこみっていう状態が普通になって 16
ああ行きました。徳間さんの招待で、佐原ね 17
組み替え百パーセント! 18
だからこういうんじゃだめだって、訓読から離れよって 18
一人、これを持ってね、レジに行く人がいる 19
単行本も絶版ではないですね 20
守屋先生来たる、なんていうポスターが銀行の前に大きく出てねえ 21
あれ、先生の訳ですから 22
こっちを多少認めてくれてるんだなあという雰囲気は感じましたね 22
うん、それくらい自分の文章に自信を持っていなきゃいかん 23
宇宙の外はあるのかね 24
今日も松枝は来ていない 24
『荘子』なんてわかる方が無理じゃ 25
文章っていうのはこうまで噛み砕くのか 26
残念ながら、岩波文庫がいまだに健在だということですね 27
学界からは非常に冷遇というか無視された 28
お嫁にでも行きなさい 30
あなたは百万読者を念頭に置いてこの解説を書いていますか 31
これで必要にしてかつ十分な解題になっているじゃないか 32
女だからって特別扱いできない 33
男の人ができることは全部ちゃんと出来なきゃダメ 33
「あなた一人いなくても日本は大丈夫です」 34
先生の教え方でスキーを体得した 34
「息吹き返したね」って言われたの、それが最後の言葉 35
いや臙脂色の方がよかったって言われて 36
かんかんになって怒って、こんなもの使い物にならないって 37
なんとなく竹内さん崇拝というかなんというか 38
お前はこっちに回れっていう感じでね 40
翻訳で、ある程度ねえ、竹内流っていうか 40
一つ年上にされちゃった 41
儲かった印税で会社作ったのよ 42
第一期は単純なピンハネ 42
竹内さんにはね、なんか監修料を渡したほうがいいんじゃないか 43
みんな大学教授かなんかになっちゃってからね 45
埴谷さんがみんなお膳立てして、歩いて会場を予約しておいてさ 46
添付2 柿の会参考資料 その3 48
1.柿の会月報の目次より 49
柿の会会報の執筆者名 49
柿の会月報 目次(国立国会図書館所蔵目録より) 49
2.奥平洋子さんの書簡 52
3.村山孚さんの自伝 53
<略歴><誕生><幼少年時代><小学校時代><小学6年生><旧制中学校時代><ハルビン学院-中央大学-満州国高等文官試験合格-大同学院時代><「満州国」職員(正旗村副村長)時代><徴兵><8月15日前後><収容所で><戦後><徳間書店時代><『人民中国』の助っ人時代><余録 赤堤燈><余録 旧友の死><死去><著書>
添付3 竹内好の<編集作業> 77
添付4 記録をする会日誌 2012年その4 80
添付5 竹内好作品掲載情報 81
添付6  2012.0603 池上さんから 餅チラシ 83
添付7 嵐の中の木の葉【竹内好の著作】 84
第一章 84
編者より 102


第二期竹内好を記録する会メール 第07号
2012年7月31日
目次
事務局より 2
1.事務局より
2.『編集者余滴』について 2
3.(読み物)もちの話(『中国を知るために』より) 2
この作業の過程で、『中国』創刊100号記念増刊号(1972年10月発行)の「事項索引」に誤植が見つかりました。 3
4.竹内好と上海 3
5.ホームページへの掲載 3
6.その他 3
1)夏目さんからのご教示(竹内さんのテレビ出演のアーカイブについて) 3
2)金子さんからのご教示(「新・日本文壇史」第6巻) 4
3)立間さんからのお申し出 4
4)竹内良雄さんよりご教示(「生誕百年の会」発表したスライドの中にあった、山水楼での「周作人、徐祖正両氏歓迎会」の写真) 5
5)永澄さんから資料のご提供(本多さんが、とくにお願いして送っていただきました。みなさまにもお読みいただきたいとのことです。) 5
添付1 竹内好『中国を知るために』より もちの話 Ver.2【竹内好の著作】 5
<日本人の正月と「もち」> 6
<竹内家の正月> 6
<幻となった餅つき大会> 7
<「もち」と「餅」> 7
<日本の「もち」に当る食品が中国にはあるか=文献的知識> 8
<なぜ日本で「もち」と「餅」とが結びついたか> 10
<竹内さんの軍隊経験> 10
<日本の「もち」に当る食品が中国にはあるか=実見談> 12
<村松一弥さんのこと> 12
<日本の「もち」に当る食品が中国にはあるか=村松ノートより> 15
<空想の翼> 17
<補足> 18
添付2 竹内好と上海 19
竹内さんと上海 事務局より 19
竹内さんと上海 その1 竹内好全集「年譜」より 21
竹内さんと上海 その2 竹内好全集「日記」より【竹内好の著作】 22
竹内さんと上海 その3 竹内好全集「旅日記抄」より【竹内好の著作】 40
竹内さんと上海 その4 かく語られ記より 46
一つのエピソード――大八車を引く竹内好―― 46
上海の竹内好――一九四二年―― 48
思想家としての竹内さん 50
添付3 永澄憲史 凡語 2012.0507京都新聞 53

第二期竹内好を記録する会メール 第08号
2012年8月28日
目次
事務局より 2
1.竹内さんの文章「真実を活かせ」について 3
2.「竹内好かく語られ記」飯倉照平さん 3
3.「竹内好かく語られ記」尾崎秀樹さん 3
4.(読み物)竹内好の翻訳『嵐の中の木の葉 第二章』 3
5.記録をする会日誌 2012年その4 3
6.ホームページへの掲載 4
7.定例メールを送っているみなさんからいただいた情報など 4
添付1 竹内さんの文章「真実を活かせ」について 6
添付2 竹内さんと朝日新聞 7
朝日新聞社に関係する竹内好の著作 7
<朝日新聞への掲載> 7
<週刊朝日への掲載> 8
<朝日ジャーナルへの掲載> 8
<アサヒグラフへの掲載> 9
<朝日評論への掲載> 9
<単行本> 9
<他者著の単行本への寄稿> 9
<朝日新聞についての竹内好の論考> 9
竹内好かく語られ記  2011.0329現在 =竹内好について触れている文章 10
<朝日新聞> 10
<週刊朝日> 10
<朝日ジャーナル> 11
添付3 続竹内好かく語られ記 その7<飯倉照平特集> 11
わたしにとっての中国語 11
人々はつどい、かつ散ずる――竹内好さんとの十五年 17
中国文学研究会と竹内好 質疑応答(抜粋) 22
竹内好の一九六〇年代 27
とりとめもなく[2・「六〇年安保」のころ] 29
ある旅のおわり[加筆版] 32
竹内さんの思い出から(特集 鶴見和子の詩学) 34
私のこの一冊 竹内好『日本と中国のあいだ』 35
魯迅像のゆくえ 竹内・武田・増田以後 36
雲の上の中国交学研究会 38
中国文学研究会と竹内好(抜粋) 41
『竹内好全集』の仕事 44
添付4 続竹内好かく語られ記 その6<尾崎秀樹(おざきほつき)特集> 46
5020A 尾崎秀樹 「竹内好さんのこと」 49
1004 尾崎秀樹「魯迅と中国と竹内好さんと」 50
7010 尾崎秀樹「掙扎を体現する姿」 51
1010 尾崎秀樹 「竹内好の宿題」 53
1092 尾崎秀樹 「「大菩薩峠」紀行(新連載第1回)」 55
9256 尾崎秀樹「私にとっての竹内好」 56
<参考1>魯迅研究の前提 ―懇談会報告― 57
<参考2>満州国研究会会合の記録 59
4003 羽村での一日 60
1198 橋川文三と雑誌『中国』 62
3112 普通社時代 68
添付5 対談 魯迅とその時代 尾崎秀樹 竹内好【竹内好の著作】 70
文体について/お金のこと/「分かる」ということ/国防文学論争のこと/コミンテルンと台湾共産党/左連の時代/比較研究の必要性/“プロレタリア文学”の意義/時代思潮の考察/新しい魯迅像の模索/
添付6 〈現代読者考〉竹内好とその読者 尾崎秀樹(文芸評論宝)、前田愛(立教大学教授)、山田宗睦(哲学者) 、中島岑夫(筑摩書房編集部)  88
逆位の思想のスタイル/“仕掛人”――竹内好/竹内好の戦後的意味/“漫画世代”への見通し/未完の処方箋/
添付7 嵐の中の木の葉 第二章【竹内好の著作】 100


第二期竹内好を記録する会メール 第09号
2012年9月30日
目次
事務局より 1
1.飯倉照平さん、大石志げ子さんインタビュー資料その2 2
2.『中国の会会報』から 2
3.「竹内好日記」に見る 中国の会の草創期と雑誌『中国』誕生の頃 3
4.(読み物)竹内好の翻訳『嵐の中の木の葉 第三章』 3
5.記録をする会日誌 2012年その5 4
添付1 → 飯倉照平さん、大石志げ子さんインタビュー資料その2
飯倉照平「わが友 長野広生」 『日本読書新聞』1975年3月24日号 4
飯倉照平「わが友 村松一弥」 『日本読書新聞』1975年4月7日号 5
飯倉照平「わが友 市川宏」 『日本読書新聞』1975年4月21日号 6
添付2 中国の会よ、どこへ行く――12月・月例研究会報告――【竹内好の著作】 7
現状はどっちつかず/少しは悪いことでもやろうか/関西に造反派(?)発生/ぼくらがダメなら、中国の会もダメ/安易な形での存続論はいやです
添付3 「竹内好日記」に見る 中国の会の草創期と雑誌『中国』誕生の頃【竹内好の著作】 21
添付4 嵐の中の木の葉 第三章【竹内好の著作】 31


第二期竹内好を記録する会メール 第10号 Ver.5
2012年10月30日
<目次>
事務局より 2
忘年会のお知らせ 3
<再掲> 続0067 丸谷才一 「無地のネクタイ12 資料としての日記」 4
<参考>上記の続0067の参考として、続0059の文章を抜粋する → 続0059 加藤陽子 「第5章太平洋戦争 太平洋戦争へのいろいろな見方」
インタビュー立間祥介さん、檜山久雄さん第3稿 6
主催者より挨拶
立間さんより
1948年中国文学研究会の末席に連なって
1954年『北斗』創刊のいきさつ
1952年から1959年にかけてに集まっていた頃
1964年のスキー旅行で
1965年『竹内好著作ノート』刊行
1954年河出書房『現代中国文学全集』と1962年平凡社『中国現代文学選集』
1971年復刻『中国文学』別冊
檜山さんより
 竹内さんとの出会い
『北斗』のこと
新日本文学会編集部と花田清輝さん
囲碁の会
中野好夫さんのこと、1952年懸賞論文のこと
1952年中野重治宅訪問のこと
日本棋院の箱根寮で
再び花田清輝さんのこと
中野重治さんと竹内さん
再び立間さんより
立間さんの出身学校
1958年『三国志』の翻訳
再び竹内さんのこと
お二人から交互に
再び中国文学研究会の集まりについて(立間、檜山)
北斗と柿の会(檜山、立間)
倉石武四郎さんと一対一で(檜山)
『人民文学』と『新日本文学』(檜山、立間)
1965年青年大交流(立間)
倉石研究室のこと(檜山)
岩波書店の辻さん(檜山、立間)
岡崎俊夫さんの葬儀(立間)
新日本文学会は竹内さんに批判的(檜山)
再び中野重治さんのこと(檜山)
花田さんと埴谷さん(檜山)

別表
中村輝子さんのインタビュー資料集 25
脚注4 横地倫平 「竹内好日記」に記載された横地倫平 25
脚注7 竹内好の留学及び中国滞在の記録(『竹内好全集』第17巻「年譜」より) 36
脚注8 小新聞の会 『竹内好全集』第17巻「年譜」および第16巻「転形期」による  38
「かく語られ記リスト」より 39
後藤孝夫 よき友竹内 <抜粋>/新井直之 小新聞の会 <全文>/日高六郎 二年目の六〇年安保 <全文>/日高六郎 竹内好の残したもの <抜粋>/
竹内好自身の「小新聞の会」についての記述 42
日高六郎、竹内好 二年目の六〇年安保(対談)<抜粋>【竹内好の著作】/竹内好 自画像 <抜粋>【竹内好の著作】/竹内好 大新聞批判―全体的な批評の喪失(『全集』収録時に改題→新聞について)<全文>【竹内好の著作】/竹内好 小新聞の可能性 <全文>【竹内好の著作】
脚注9 「量は質でカバーすることができるから、量は減ったんだろうけれど、問題は質だ」 51
竹内好 大新聞批判―全体的な批評の喪失(『全集』収録時に改題→新聞について)<再掲 抜粋>【竹内好の著作】
脚注10 竹内さんと小和田次郎さんと城戸又一さんの座談会 52
座談会 日本の新聞 城戸又一(同志社大学教授)・小和田次郎(新聞記者)・竹内好(評論家) 【竹内好の著作】
脚注11 「威張らないし、無理な謙遜もしないし、それは非常によかった人というふうに書いてらっしゃいます 66
竹内好 記憶に消えぬ人 斎藤正躬さんのこと <全文>【竹内好の著作】
読み物 竹内好の翻訳『嵐の中の木の葉 第四章』【竹内好の著作】 67
記録をする会日誌 2012年その6 80


第二期竹内好を記録する会メール 第11号 Ver.1-1
2012年11月30日
<目次>
事務局より 3
<お知らせ>松井博光さん逝去 (2012.11.2単独にて送信済みを再掲) 4
<通知>インタビューを受けてくださった方々への「メール郵送版」贈呈 4
<予告>『北斗』グループのみなさんへのインタビュー 5
忘年会の報告 5
中村輝子さんインタビュー(初稿整理版)Ver.2 6
インタビューをお願いするきっかけは 6
まずご経歴をお話いただいて 7
ハオさんは共同通信というものになじみをもっていた 8
新聞というものにも、並々ならぬ関心を 9
ジャーナリズムとの関係でいえば「小新聞の会」ですね 9
橋川さんも石田さんも、丸山スクールです 10
「小新聞の会」にときどき原寿雄を呼んでいるんですよ 11
竹内さんにとってこの斉藤さんというのは 12
その一人がやっぱりハオさんであったと思います 12
六、七人で、ハオさんとスキーに行っているんです 13
ハオさんは日本読書新聞を重用していらした 14
無知は楽しくないけれど、偏見は楽しい 14
アジア学って言葉を作ったわけなんですよ 15
ひところハオさんは東南アジアに行ってこようともしていたらしい 16
<補充インタビューから> 16
74年3月の女四人の会っていうのがあるんです 19
親しい友人がハーバードにいるから会ってみたら 20
地下にもぐっている活動家たちと、連絡をとり合っていたんです 21
あの発言は、私にはきつかった 22
ふっと振り返ったら、どこにもハオさんが見えなくなってしまった 23
追悼 松井博光さん 24
<プロフィール> 24
あるのかないのか、故郷 24
インタビュー竹内好と都立大中文研究室 未定稿その3 26
一枚のメモを作ってきました 27
竹内好という人が授業をやっているよ 28
ほんとに勉強するつもりがあるんならば都立大に来ないか 30
それから「魯迅友の会」のことですけれども 31
桜美林大の中文を作ることになった。そのときに、それを助けに行けというんで 33
『北斗』を作ったのは 35
『現代中国論』はショックでしたね 36
もし学部長に選ばれたらおれは辞めると宣言したんですね、竹内さん 36
修論は、茅盾論を書きました 38
都知事に自民党系の人がなると、安全なんですよ 39
新聞紙というのは、ふとんの替わりになる 40
短い言葉で「それは違う」っていうことをぴしっと言うんですよね 41
中国語をやろうと思ったら、まず料理屋でやったほうがいい 43
スキーをやった後の酒をうまい、うまいと好さんは言ってたから 44
永島栄一郎さんは策士なんですよ 45
それ慶応に売って、見に行ったことありますよ 46
先頭ですべりだしちゃったんです。それも好さんらしいんですよね 47
樺美智子さんが私の家へいらした記憶 48
民主主義を守るんじゃない。民主主義を作る会にしなければ駄目だ 49
注18の記載について あるいは 吉祥寺自宅の水害について 54
竹内好日記に見る松井博光さん(1957年~1964年) 55
1957年から1959年(未公刊日記より抜粋)【竹内好の著作】 55
1960年(『全集』第16巻より抜粋)【竹内好の著作】 57
1962年1月~3月(『全集』第16巻より抜粋)【竹内好の著作】 59
1962年4月~12月(『転形期』より抜粋)【竹内好の著作】 60
1963年(『転形期』より抜粋)【竹内好の著作】 61
1964年(『転形期』より抜粋)【竹内好の著作】 66
1964年(未公刊日記より抜粋)【竹内好の著作】 66
「講和の原点」が原点(編者より) 70
竹内好「講和の原点」(抜粋)【竹内好の著作】 71
竹内好「国交回復の条件」【竹内好の著作】 71
はじめに 71
第二次大戦の結末 72
中国の抗戦 72
カイロ宣言 73
ヤルタ協定 74
中ソ条約 75
戦後の中国 76
講和への歩み出し 76
中ソ条約の改訂 77
朝鮮戦争の前と後 78
サンフランシスコ平和条約をめぐって 79
ダレスあて吉田書簡 80
日華平和条約 81
中ソ共同宣言 81
その後の動き 82
竹内好「日中関係のゆくえ」の著者解題【竹内好の著作】 83
中ソ友好同盟相互援助条約(四五年八月十四日調印)抄 83
同条約(五〇年二月十四日調印)抄 84
ダレスあて吉田書簡(五一年十二月二十四日付)抄 84
周恩来の日本記者団への談話(五七年七月二十五日)抄 84
座談会 アジアの意志【竹内好の著作】 84
出席者 蝋山芳郎(共同通信東亜部)、竹内好(慶応大学講師)、飯塚浩二(東大教授)、齋藤秋男(中国研究所所員)、岡倉古志郎(世界研究所所員)
編者注:この座談会は『改造』1951年10月号(改造社発行)に収載された。但し、漢字を通用字体に、かなを現代仮名遣い(主に「つ」を「っ」)に改め、また適宜句読点を加除した。
アジア諸国の対日講和態度/賠償問題より安全保障/日本人民への公開――大公報/日本人の優越意識/新中国の対日感情/インドの真意/アジア人のアジア/吾々はアジア諸国に訴える
竹内好の講演 戦後の日中関系【竹内好の著作】 94
――一九六三年十月、思想の科学研究会の市民学校にて――
『思想の科学』(思想の科学社発行)1978年12月号
第一期会員からの情報(池上正治さんから) 100


第二期竹内好を記録する会メール 第12号
Ver.2
2012年12月31日
目次
事務局より 2
1.第4年目を振り返って 2
2.12月号について 3
<吼えろ支那> 3
発端は……
「竹内好日記」と「手紙」より
<竹内好の映画・演劇体験> 5
<その他> 5
3.2013年の活動について 6
<読み物>吼えろ支那【竹内好の著作】 7
南京劇芸社 竹内 好 訳(初出:『時局雑誌』二巻五号、一九四三年五月号、改造社)
序幕/第一幕/第二幕/第三幕/第四幕/終幕
「日記」にみる竹内好の「映画鑑賞」と「観劇」(戦後編)【竹内好の著作】 25
1946年 25
1947年 28
1948年 30
1949年~1956年(「日記」未入手) 33
竹内好「観客とのつながり―「桜の園」をみて―」1951年3月号『世界』(岩波書店刊)33
1957年 36
1958年 42
1959年 46
1960年 49
1961年 52
1962年 55
1963年 58
1964年 58
1965年~1976年(「日記」未入手) 59
「日記」にみる竹内好の「映画鑑賞」と「観劇」(戦前編)【竹内好の著作】 59
遊平日記〔一九三二年(昭和七年)〕八月 60
一九三四年(昭和九年) 63
一九三五年(昭和十年) 67
一九三七年(昭和十二年) 68
一九三八年(昭和十三年) 69
一九三九年(昭和十四年) 74
一九四〇年(昭和十五年) 81
上記より映画鑑賞・観劇の記録部分のみを抜粋 81
竹内裕子「竹内好を記録する会」のみなさま  2012年の感謝のごあいさつを 83


第二期竹内好を記録する会メール 第13号Ver.1
2013年3月5日
目次
花見の会のお知らせ 2
事務局より 2
1)第二期第三年目の方針を決めるための 記録探索グループの会合を開きました 2
2)『書評紙と共に歩んだ五〇年』および『伝説の編集者・巌浩を訪ねて』に書かれた竹内さん 2
3)「インタビュー柿の会パート2 市川宏さん、竹内良雄さん」未定稿の配信 4
インタビュー 市川宏さん、竹内良雄さん〔未定稿 整理版その3 2013.0212〕 5
竹内良雄さんは、竹内家を深くご存じらしい 5
奥平さんと好さんがにらめっこ 5
竹内良雄さんと柿の会 6
『毛沢東集』竹内実監修、毛沢東文献資料研究会編集(代表:藤本幸三、市川宏) 7
竹内良雄さんと魯迅友の会 8
市川宏さんと竹内家 9
竹内さんの教授法 11
魚返善雄の関連著作 12
「戦慄が背筋を走った」 13
『中国の思想』の翻訳 14
「もう一週間ください」 15
対抗意識持つのは当然 16
「竹内先生の頭の中では2本立てで」 17
(「竹内好未公刊日記」より抜粋) 17
「ようするに、わざと居すわったわけよ」「惰性で、惰性で」 19
都立大の教授のみなさん 22
「民主か独裁かって、おやって思って」 23
「黒姫に合宿行って、私は」 23
「暗黙というか、なんとなくそういう感じが、あったね、たぶん」 24
「そのあいだに北望社の失敗があるわけですよ」 25
「母が隠した高級なお酒を見つけるのが天才的に上手で」 26
『魯迅文集』の手伝いについて 28
その他の柿の会のみなさん 28
『中国の思想』徳間書店発行 28
(松本一男さんについては、以下のURLに記述あり。本文にまでは届かなかったので、履歴しかわからない。 30
「黒姫からの帰り、ちょうど浅間山荘事件でね」 32
北望社のこと 33
竹内良雄さんのこと 33
中国現代文学翻訳への関わり 34
『中国現代文学選集』 全20巻(平凡社1962-1963)第7巻抗戦期文学集Ⅰ(竹内好編1962年9月5日発行)収録の作品は以下のとおり。 34
没後の『魯迅文集』の作業 35
「三か月以上の間、病室に通って、付き添った」 36
埴谷雄高「最後の四個月」(「展望」昭和52年5月号)抜粋
埴谷雄高「最後の四個月」(「展望」昭和52年5月号)抜粋 36
「一日会が文壇の会になって行っちゃったんだと思う」 38
最近の柿の会のみなさん 40
(別冊)第二期竹内好を記録する会の活動記録 2013年3月15日
この総目次と内容が重なるので目次を省略する。


第二期竹内好を記録する会メール 第14号Ver.2 2013年4月10日
目次
事務局より 2
【記録をする会のプレゼンのために】 3
竹内好を記録する会が四年間にやってきたこと 3
<竹内好を記録する会の設立から現状まで> 3
1.竹内好を記録する会結成の経緯 3
2.竹内好にはすでに『全集』があるのに、なぜ「記録をする会」が活動しているのか 3
3.「記録をする会」が、これまでやってきたこと 4
4.「記録をする会」が、まだほとんど手がけていないこと 4
5.プレゼンによって何を期待しているのか。 4
<竹内好を記録する会のこれまでの成果> 5
1.四年間の活動の実績 5
2.埋もれていた文章の発掘や、新たにわかった訂正など 5
3.これまでのインタビューの実績 7
4.竹内好かく語られ記の収集実績 8
5.これまでに配信した「テーマ別データ」 9
6.「竹内好と研究会」について 10
7.資料探索の一例 11
8.自筆の解読 12
クイズです。竹内さんの日記起こしの活字が下にありますが、一ヶ所誤りがあります。どこでしょうか? 12
9.所蔵品のリスト 12
竹内好のミニ自伝 14
――下記の三編より抄録―― Ver.1
『竹内好全集』の「年譜」(青年時代の部分)【竹内好の著作】
『魯迅友の会会報』の「雑記」、「雑感」【竹内好の著作】
雑誌『中国』連載の「中国を知るために」【竹内好の著作】
【生誕から高校まで】 14
【大学から敗戦まで】 19
【戦後から都立大教授時代まで】 34
【1960年代】 38
【1970年代】 65


第二期竹内好を記録する会メール 第15号Ver.1  2013年7月18日
目次
事務局より 1
【竹内好資料保管庫の引っ越し】 2
【インタビューの進み具合】 2
【著作権者からの竹内好に関わる出版などの情報】 3
1.「佐久の先人」18人〔長野県佐久市〕 3
2.英語への翻訳 2013年7月13日本多さんから事務局に届いたもの 3
Takeuchi Yoshimi,"Okakura Tenshin: Civilization Critique from the Standpoint of Asia, 1962"
3.中国語への翻訳 2013年4月12日本多さんから事務局に届いたもの 5
竹内好著『従「絶望」開始』
【竹内好日記の活字化について】 5
【前号 クイズの解答】 6
【蘭印探訪記を見る――日記転写原稿より】 6
【転写原稿の内容】1941年の「竹内好日記」は、『全集』第15巻「解題」に「No.13 1941年1月、2月、7―12月(中判ノート)」とリストアップされているもので、200字詰め原稿用紙266枚に転写されています。このノートの末尾が12月8日付であり、同日の日記本文は、「竹内好の手紙」のなかで公開済みです。(「竹内好の手紙――松枝茂夫・武田泰淳・家族宛 (上)一九三六~一九五二」『辺境』(第3次)5号 1987年10月号 記録社発行 影書房発売)
 今回発見できた<転写原稿>をみると、冒頭の1月、2月の文章は、日記というよりも習作と言うべきかもしれません。表題付きで「年頭の所感(末尾に「1月14日」との記載あり。以下同様。)」「回教寺院参観記(1月14日)」「松本行一月十、十一日(1月16日)」「瀧田丸出迎の記(1月27日記、思うように書けず)」「蘭印探訪記を見る(2月12日)」とあり、続けてふつうの日記形式で7月1日から書き進んでいます。発見当時(転写を手書きと記していた時期です)のメモは以下のとおり。
 1941(昭和16)年竹内好日記 (全集解題ではNo.13)
 200字原稿用紙手書き266枚
 P1-4 1月14日記 年頭の感想
 P5-15 1月14日記 回教寺院参観記
 P16-34 1月16日記 松本行(1月10,11日)
 P34-38 1月27日記 龍田丸出迎の記(末尾に「思うように書けず」
との記載あり。)
 P39-44 2月12日記 蘭印探訪記を見る(大毎東日制作のドキュメン
タリー。記録によれば2月11日東宝系で公開された。)
 P44-75 7月分の日記
 P75-122 8月分の日記
 P122-187 9月分の日記
 P187-226 10月分の日記
 P227-257 11月分の日記
 P257-258 12月2日の日記
 P258-266 12月8日の日記
 末尾に編集者と思われるが、「S16年雑記帳分終り」とメモしてある。
 最後の「12月8日」の日記が『辺境』(第三次第五号、1987年10月発行)に掲載された。これは「竹内好の手紙(上)」に挿入されているが、同時に12月13日の日記も載っており、こちらは添付の日記番号ではNo.14にあたり、今回の発見には含まれていない。(この記述のあとで見つかっている。)
 「手書き原稿」は現代仮名遣いで、漢字カタカナ書きである。『辺境』掲載文では歴史的仮名遣いで、漢字ひらがな書きとなっており、「学校=京北実業」、「研究所=回教圏研究所」の注もあり、また適宜段落分けがなされている。文章自体は同じであった。
竹内好「蘭印探訪記を見る」【竹内好の著作】


第二期竹内好を記録する会メール 第15号別冊 蘭印探訪記
(第15号本文9ページより)この映画を書籍化したもとて、東亜林写真叢1『蘭印探訪記』が1940年 4月 15 日に出版されました。「本文は映画の解説を余すところなく収録」ている冊子でそ、観竹内 さんの記憶力がいかほどもであったを比較してみと考えま。 文中の 赤字 は「竹内好日記」からの引用です。
目次
<蘭印探訪記 再編集版 その1 目次とプローグ > 2
目次 2
プロローグ 3
一億國民の焦點蘭領東印度 3
本國の五十八倍を有する蘭領東印度 3
オランダ船 と御朱印 4
日本・ジヤバ交易の蔭に隠れたガトラ文哀話 5
東印度進出の根城バタビヤ 5
<蘭印探訪記 再編集版 その2新しき蘭印> 6
新しき蘭印 6
冷房・水シヤワー室を備へた豪華な急行列車 7
隠然たる支那人の經濟的勢力 8
五千九百萬の住民上に君臨する二十歐米人 9
パッサル・スネンとイカ 10
何かなし神秘の趣きを持つ辻藝人ガメラン踊り 11
蘭印の人口 12
宛ら人種の市 12
「世界の富」が隠されてゐる蘭印 14
石油 15
嚴重に締め出された鑛物資源の開發 15
錫 15
蘭印の農業に投下された各國資本比較 16
茶の大量買ひ付けで濡手粟儲をした英國16
煙草 17
規那 17
惡疫マラリヤの恐怖を一掃した規那 17
世界第二位のジヤバ糖18
世界に誇るゴムの生產 19
未だこれからの工場業 未だこれからの工場業 20
<蘭印探訪記 再編集版 その3 古き蘭印> 21
古き蘭 印 21
ボルドーの佛蹟 21
ジヤバ更紗の藝術 22
ワイヤン・クリットの影繪芝居 23
わが歌舞伎に似通つたジャバの芝居ワイヤン ・ウオ24
ソロの王城24
華やかな王朝の悌を偲ぶスリムピー舞踊 26
<蘭印探訪記 再編集版 その4> 27
夢の蘭印 27
アンコロと可愛い子供の踊り27
青年の競技・闘羊賭け弓 28
女たちの働くバリー島 29
派手を競ふバリー島の葬式 30
彼等は何を祈るか 32
後記 33
『蘭印探訪記』の撮影に當つて 33
後記 34


第二期竹内好を記録する会メール 第16号Ver.1 
 2013年8月29日
目次
【事務局より】 1
【インタビュー校正の進み具合】 2
1.大石志げ子さん・飯倉照平さんへのインタビュー(2012年9月) 2
2.『北斗』の立間祥介さん・佐藤一郎さん・宇田礼さんへのインタビュー(2012年12月) 2
【竹内好日記の活字化について】 2
1.ワープロ化の進み具合 2
2.竹内好日記原本の撮影 3
3.竹内好日記の魅力 3
【日記に触発されての「かく語られ記」】 5
その1 対談 竹内好・堀田善衛「横のひろがり縦のひろがり」【竹内好の著作】 5
砂漠と奴隷制の遺産 社会主義キューバと「甘い生活」/役割分担時代の終り 日本の統一性を支えたもの/中国は“外国”でないか  原水禁運動が世界でもつ重み/“宣言”を“事実”に  ムード・ナショナリズムの裏側
その2 江崎誠致『宇宙に遊ぶ わが囲碁史』第2章より 13
その3 原武史「震災と鉄道を考える」より 14
【北斗インタビューにかかわる「かく語られ記」】 15
その1 小野田耕三郎「岡崎さんを憶う」より 15
その2 駒田信二「中国文学研究会で」より 16
【飯倉さん所蔵の書簡集(柿の会・中国の思想の巻)】 17
1957年7月10日付和田武司からのハガキ/1959年1月1日付守屋洋からのハガキ/1959年2月9日消印守屋洋からの封書/1959年9月24日付和田武司からのハガキ/1963年1月18日消印守屋洋からのハガキ/1963年3月11日付守屋洋からの封書/1963年4月28日付守屋洋からのハガキ/1963年5月26日消印市川宏からのハガキ/1963年6月5日消印柿の会からのハガキ/1966年8月26日消印久米旺生からのハガキ/1967年1月3日(消印不明瞭。年賀状を使用)久米旺生からのハガキ/1967年5月3日消印久米旺生からハガキ/年月日消印のない久米旺生からのハガキ
【飯倉さん所蔵の書簡集(中国の会編集部の巻)】 21
1962年10月23日消印 普通社から/1962年11月28日消印 普通社から/1963年1月7日消印 普通社から/1963年4月16日消印 普通社から/1963年7月26日 普通社から/1963年10月23日 普通社から/1963年10月29日 普通社から/
1964年、1965年の編集実務に関する書簡見当たらない
1966年4月14日 藤本幸三から/1966年4月19日 勁草書房(無署名だが田辺貞夫)から/1966年4月27日 今村与志雄から/1966年5月12日 竹内好から【竹内好の著作】/1966年5月18日 竹内好から【竹内好の著作】/1966年5月24日 竹内好から【竹内好の著作】/1966年6月7日 田辺貞夫から/1966年8月5日 今村与志雄から/1966年8月11日 竹内好から【竹内好の著作】/1966年8月15日 藤本幸三(ただし無署名)から/1966年8月16日 田辺貞夫から/1966年9月9日 今村与志雄から/1966年9月12日 藤本幸三から/1966年9月13日 今村与志雄から/1966年10月22日 藤本幸三から/1966年10月28日 今村与志雄から/1966年11月3日 今村与志雄から/1966年11月10日 藤本幸三から/1966年11月17日 今村与志雄から/1966年11月21日 今村与志雄から/1966年12月2日? 藤本幸三から/1966年12月4日 今村与志雄から/1966年12月15日 竹内好から【竹内好の著作】/1967年1月22日 藤本幸三から/1967年2月26日 竹内好から【竹内好の著作】/1967年3月7日 田辺貞夫から/1967年3月17日 後藤孝夫から/1967年3月22日 今村与志雄から/1967年3月か? 封書表書きが「至急 飯倉さんがいない場合、至急飯倉さんに連絡してください。飯倉様 藤本」とある。/1967年4月8日 藤本幸三から/1967年4月17日 後藤孝夫から/1967年5月3日 今村与志雄から/1967年5月11日 後藤孝夫から/1967年5月15日 藤本幸三から/1967年6月17日 今村与志雄から/1967年7月7日 藤本幸三から/1967年7月12日 藤本幸三から/1967年7月28日 竹内好から【竹内好の著作】/1967年8月?日 大石志げ子から/1967年8月?日 大石志げ子から/1967年8月 大石志げ子から/1967年8月10日 今村与志雄から/1967年8月23日 田辺貞夫から/1967年9月10日 今村与志雄から/1967年9月15日 飯倉照平から大石志げ子へ/1967年9月13日か? 便箋のみ/1967年9月25日 藤本幸三から/1967年10月18日 藤本幸三から/1967年10月21日 大石志げ子から/1967年11月23日 大石志げ子から飯倉照平へ(藤本幸三のメモも同封)/1967年11月27日 さねとうけいしゅうから/1967年12月7日 今村与志雄から/1967年12月13日 大石志げ子から/1967年12月14日 藤本幸三から/1967年12月14日 野原四郎から/1967年12月16日 竹内好から【竹内好の著作】/1967年12月19日 藤本幸三〔署名なし〕から/1968年1月4日 今村与志雄から/1968年?1月10日 藤本幸三から/1968年1月17日 藤本幸三から/1968年1月27日 毎日新聞社学芸の赤尾俊郎から/1968年2月1日 竹内好から【竹内好の著作】/1968年2月4日 藤本幸三から/1968年2月5日 大石志げ子から/1968年2月8日 藤本幸三から/1968年3月23日 大石志げ子から
1968年4月9日 森信三から/1968年4月20日 後藤孝夫から/1968年9月17日 藤本令子から/1969年2月25日 増田渉から/


第二期竹内好を記録する会メール 幻の第17号Ver.2
  2013年9月30日【この号のみ送付先限定配信】
第二期竹内好を記録する会 事務局 斉藤善行
9月号で用意したのは<竹内さんの「憲法問題研究会」との関わり>です。そこには「未公刊日記」、さらには「未公開レポート」に関する情報が記載されております。この点に関して著作権者においてさまざまなご配慮があり、その配信には問題があるとの判断に至りました。そしてその判断には事務局も納得できるところがあります。そこで、時機が許すようになったら配信することにして、幻となった9月号は「記録探索グループ」のみなさんだけにお送りします。次号(10月号)は別のテーマで準備いたします。
目次 
【事務局より】 2
【竹内好の「憲法問題研究会」との関わり】 3
はじめに 3
かく語られ記より 5
家永三郎「竹内さんと私」(抜粋) 5
中野好夫「片端につながる一人として」(抜粋) 6
丸山真男「好(ハオ)さんとのつきあい」(抜粋) 6
「野村浩一さん、丸山松幸さんインタビュー」(抜粋) 7
<竹内好日記より>【竹内好の著作】 8
1958年〔「竹内好日記」(未刊)より部分引用〕 8
1959年〔「竹内好日記」(未刊)より部分引用〕 10
1960年〔『竹内好全集』第16巻「日記」より部分引用〕 11
1961年〔『竹内好全集』より部分引用〕 13
1962年〔3月まで『竹内好全集』より部分引用。4月から『転形期』より引用。〕 14
1963年〔引き続き『転形期』からの引用〕 17
1964年〔3月まで『転形期』より引用。4月から「竹内好日記」(未刊)より部分引用。〕 18
1965年〔「竹内好日記」(未刊)より部分引用〕 19
1966年〔「竹内好日記」(未刊)より部分引用〕 20
1967年〔「竹内好日記」(未刊)より部分引用〕 21
〔1968年以降の「竹内好日記」は確認できていない。代りに「日記」を参照したと思われる『竹内好全集』第17巻「年譜」の記述を引用する。〕 22
1968年 22
1969年 22
1970年 23
1971年 23
1972年 23
1973年 24
1974年 24
1975年 24
1976年 24
竹内好の憲法に関する著述一覧(『竹内好全集著作目録』より) 25
まえがき 25
竹内好の憲法に関する論文リスト 25
憲法問題研究会に触れている対談 26
対談 福田恒存在・竹内好「現代的状況と知識人の責任」【竹内好の著作】 26
初出『展望』1965年9月号 筑摩書房発行、『状況的』1970年10月30日第1刷 合同出版発行(抜粋)
文化共同体における知識人の役割/やむにやまれぬ発言とその責任/はたして全体的な判断は可能か


第二期竹内好を記録する会メール 第18号Ver.1
  2013年10月30日
目次
0.事務局より 1
1.インタビューの進み具合 2
2.幻の9月号の「目次」と「はじめに」 2
1)9月号目次 2
2)【竹内好の「憲法問題研究会」との関わり】はじめに 3
3.松井家から頂戴した古雑誌類 6
1)竹内さんの著作掲載号(約60冊)
①『みすず』に掲載された「日記」の全号、
② 1950年代の『人間』『群像』が各4号、『世界』『文学』が各3号、『文芸』『大安』が各2号、『展望』『思想』が各1号、それと『東京新聞』3日分のキリヌキ
④ 『日中』1971年12月号(「大東亜戦争と吾等の決意」を無断掲載した号)
2)「語られ記」の掲載雑誌(数十冊)
3)書評紙(相当数)
4.『全集』未収録文章の発見 6
竹内好「同僚として」【竹内好の著作】 パンフレット『「まいづる事件とその裁判」』 都立大学阿部・小松救援会編集、1955年9月1日発行
5.日記に関する竹内さんの著述 7
日記について  一九六二年七月二十二日付『人類愛善新聞』(人類愛善新聞社刊)の「ずいひつ」欄に「日記」と題して発表、『転形期』に「日記について」と改題して収める。のち『方法としてのアジア』にも「日記」の題で収める。(飯倉照平『全集』第13巻「解題」)
6.各種の情報 7
1)日文研での発表 7
2)佐久の先人 7
3)ホームページへの掲載 8
4)池上さんからの情報 8
7.「かく語り記」「かく語られ記」「竹内好を囲む人々」 8
1)「竹内好かく語り記」=「座談会 「近代の超克」をめぐつて 9
【事務局より】 9
「年譜」より 12
1959年の「竹内好日記」より 12
1960年「竹内好日記」より 12
飯倉照平『竹内好全集』「解題」より 12
立間祥介編著『竹内好著作ノート』(図書新聞社)143ページより 13
座談会 「近代の超克」をめぐつて 14
2)「竹内好を囲む人々」=増田渉 「古書雑談(六)」 32
3)「竹内好を囲む人々」=飯塚朗 「岡崎の急逝を悲しむ」 35
4)「竹内好を囲む人々」=安藤彦太郎 「岡崎俊夫さんと『天上人間』」 37
5)「竹内好かく語られ記」=市川宏 「〈読書ノート〉魯迅読まずの……」 39
6)「竹内好かく語られ記」=児玉淳 「竹内好氏の対出版社闘争史」 42
座談会 「近代の超克」をめぐつて【竹内好の著作】 14
出席者 佐々木基一、竹内好、伊藤整、鶴見俊輔(1960.3.17開催との記載あり)
『新日本文学』1960年5月号 新日本文学会発行より
「近代の超克」-その問題の所在/戦争体験と戦中派の発言/戦争性格の見方と東京裁判批判/日本人の戦争観/反戦思想の弱さの原因/ナショナリズムの問題/国家と民族/未来のイメージをつくるモメント/中国革命と民族の問題/超マルクス主義/


第二期竹内好を記録する会メール 第19号Ver.1
  2013年11月30日
目次
0.事務局より 2
1.インタビューの進み具合 3
2.竹内好を記録する会インタビュー 2012年12月1日実施 『北斗』の会について <整理版 Ver.4>2013.1112 3
<シーン1> 3
<シーン2> 4
<シーン3> 4
<シーン4> 4
<シーン5> 5
三つお聞きしたいことがありまして 5
竹内先生と出会う前に、すでに魯迅にはすごい興味ある 6
中国研究所所員になったときの推薦者が竹内好先生 8
三田図書館へ私は入れてもらったわけです 9
「あんた明治学院に行ってごらん」 10
浦和のお宅へ三回ぐらいお邪魔して 11
『現代中国の作家たち』で「お前書け」と言われた 13
立間もたぶん言われているはずなんです、なにか 15
竹内さんの中で、それぞれの適性を見極めいていたんではないか 16
松井はねえ、竹内さんを慕って慶応に入っちゃったんだ 17
竹内さんと顔を合せないようにしていたいという人間もいたわけで 18
松枝さんに一番信用があったのは君だろう 20
このままじゃ宇田は潰れちゃうんじゃないかなと 22
ここに宇田っていうのが書いている。こういうことを今言わなきゃいけないなって 22
<シーン その6> 23
<シーン その7> 23
<シーン その8> 23
<シーン その9> 24
全体として言えば、まったく新しい、なんて言うんですか、コンテンポラリー中国文学 24
われわれはね、竹内さんを囲んでなんてやっていませんよ 25
僕は一度も竹内と呼び捨てにしませんでした、竹内さんといったでしょうってね 26
彼のような鬱屈を持っていた人間も『北斗』へ入ってくる 27
中国文学研究室を乗っ取られたような感じを持ってたらしい 28
文学のぶの字も知らないやつが文学のことをしゃべるな 29
坂下のね、東京ガスの会議室、あれ、ただ 30
『北斗』はなぜ解散したか 30
編集部はぐるぐる回してたんです 31
そこで「北斗」の話をして、書いてくれって言ったら書いてくれた 32
そもそも『北斗』って、どうしてそういう名をつけたのですか? 33
お前ね、ろくにね、わけもわかんないで、中国の詩なんて訳すな、と 34
私はそののち古典のほうへ行ってますから 35
その前に中研で百何ページかのパンフレットで出しました 36
郭沫若さんと父たちの関わり、非常に深いと思うのですけれども 37
隠れて観察されちゃうわけです 38
僕のほうは60年安保なんてむなしいと思ってましたから 39
立間の発言の影響力っていうのは、非常に強いんです 39
注記 41
3.中国文学会編集『北斗』第1号~第19号総目次 ver.2 43
4.中国文学会編集『北斗』第1号~第19号総目次 著訳者名で並べ替えた表 52
5.竹内好「対談集というもの」【竹内好の著作】
初出:1972年1月31日発行『時刻表』第8号(ウニタ書舗刊)
6.竹内実さんに触れた竹内好さんの記述 63
『転形期』1962年11月6日(火)7日(水)8八日(木)【竹内好の著作】
7.竹内好執筆の「中国現代文学辞典 1949年」(補訂版)【竹内好の著作】 63
『世界文学辞典』中国関係項日  1950年2月15日発行『世界文学辞典』(本多秋五・荒正人・平野謙・山室静編、中部日本新聞社刊)のために執筆したもの。
あ-お 64
か-こ 65
さ-そ 68
た-と 72
は-ほ 74
ま-も 76
や-よ 76
ら-ろ 77
8.各種の情報 79
1)日文研での発表(その2) 79
2)ホームページへの掲載 79
3)受贈本 79
4)会合の記録 79


第二期竹内好を記録する会メール 第20号Ver.1
  2013年12月31日
目次
0.事務局より 1
1.金子勝昭さんからのお便り (2013.12.24付Eメール) 2
2.1965年5月17日の竹内好【竹内好の著作】 3
遊び心で二日分の「富士日記」と「竹内好未公開日記」をシャッフルしてみました。題して「1965年5月17日の竹内好」。これは「未公開日記」を使っているので、残念ながら現時点では掲載できません。
3.外交の武器としての道義 4
手嶋龍一、佐藤優『知の武装 救国のインテリジェンス』新潮新書 2013年12月20日発行
第4章 東アジアに嵐呼ぶ尖閣問題、小見出し 外交の武器としての道義(この節の全文)
4.竹内好日記の活字化について(その2) 2013年12月現在 6
5.座談会 新中国をどう見るか――その民族的理解と文化の交流について――【竹内好の著作】 9
<竹内好を記録する会再編集版>出席者 竹内好 大江健三郎 開高健、『潮』1964年6月号 潮出版社発行
意外に評価されている秦始皇帝/梁山泊の豪傑もどきの作家たち/戦後世代に戦争責任はないか/よく知られていない中国/正面から向き合う時の決意/中国に通じない日本の漢詩/文化の浸透が洪水になるか/はるかに西欧的な中国人の存在/一九七〇年への姿勢/まだ強い大陸文化の影響/お互の理解からの出発
6.1963年の竹内好と「大東亜戦争」 18
1963年の竹内好と「大東亜戦争」――『転形期』より抜粋【竹内好の著作】
7.座談会 大東亜戦争をなぜ見直すのか【竹内好の著作】 21
――戦争と平和の問題ほど高い知性を必要とするものはない―― 初出:『潮』新春特別号 潮出版社 1964年2月1日発行《特別座談会》特集・戦争はどうして起るのか
大熊信行(神奈川大教授)、林房雄(作家)、竹内好(評論家)、上山春平(京大教授)、五味川純平(作家)
問題の真の発展のために/日本人の魂の喪失/パール判事の少数意見/戦争を二つにわける竹内説/ナショナリズムと戦争/歴史は未来への方向づけ/昭和十二年の和辻予言/太平洋戦争と世代の差/興亜思想とは無縁のもの/統帥権の独立・軍人蔑視/戦争は資本主義につながる/天皇制は「戦時体制」/十二月八日のこと/敵愾心のない戦争/再び未来のビジョンの問題/世界国家と日本/大東亜戦争の思想史的意義/日本隠居論の背後のもの/上山軍備説の大要/戦争はまだ終らない/歴史はワラの縄である/運命論に任せきれないもの/ヨーロッパ的カテゴリーの問題/上山論文の再評価へ/南原講演への深い失望/社会主義も日本化への道/


第二期竹内好を記録する会メール 第21号Ver.1
  2014年1月31日
目次
0.事務局より 1
1.記録探索グループの活動報告 2014年1月 2
2.『全集』未収録作品の新発見2件 2
①竹内好「日本文学自己改革の問題 近代支那と現代支那文学」(『竹内好全集』「著作目録」1943年6月の「(表題未詳)(三田新聞528号、10日、未確認)」と記載されている文章のこと)
 なお、米谷さんからは、以下の著述のコピーもいただきました。語られ記に登録します。
1.米谷匡史「日中戦争器の文化抗争」『日本近代文学と戦争』2012年3月23日初版、三弥井書店発行。
2.米谷匡史・岡真理「批評の不/可能性」『早大文学』第Ⅱ期24号、2006年11月3日、早稲田大学現代文学会発行。 
②竹内好『わだつみのこえ』「「八・一五」25周年の感想」アンケートへの回答
1970年8月発行の第49号「「八・一五」25周年の感想」アンケートへの回答で、26字×8行の文章。
3.竹内さんが「朝鮮」に触れた文章の一覧 3
1)飯倉照平『竹内好全集』「解題」より 4
① 竹内好全集 第五巻 4
(1)金達寿著『朝鮮』、(2)朝鮮語のすすめ、(3)朝鮮映画「赤い花」を見て、(4)隣人の責務――『金史良全集』を推す――、(5)時勢の要求を満たすもの――『現代韓国文学選集』について――、(6)おもかげの消えぬ人
② 竹内好全集 第十巻 『中国を知るために』 5
(7)四十九 外国語教育のこと、朝鮮文字のこと、
③ 竹内好全集 第十五巻 5
(8)鮮満旅行記・遊平日記
④ 竹内好全集 第十七巻 5
(9)竹内好『日本再登場』 6
⑤ 竹内好全集 第四巻 6
(10)竹内好「民兵」 6
2)竹内好参加の座談会の記録 7
(11)座談会「朝鮮戦争について――アメリカの学者にこたえる――」 竹内好・加藤秀俊・武谷三男・鶴見和子・鶴見俊輔・平沢和重【竹内好の著作】 『芽』1953年2月号 建民社
3)公刊済みの竹内好日記より(『全集』掲載分)【竹内好の著作】 7
(12)『日記』1938年六月五日、(13)1946年十二月二十六日、(14)1948年二月十七日、(15)1961年三月十一日、(16)1961年九月五日、(17)1961年十一月十一日、(18)1962年『転形期』七月三日、(19)1962年『転形期』十月九日、(20)1962年『転形期』十一月十六日、(21)1963年『転形期』三月十五日、(22)1963年『転形期』五月X14日、(23)1963年『転形期』六月X19日、(24)1963年『転形期』八月X5日、(25)1963年『転形期』九月X13日、(26)1963年『転形期』十一月X6日
4.討論 朝鮮戦争について――アメリカの学者にこたえる――【竹内好の著作】 11
『芽』1953年2月号 思想の科学研究会編集、建民社発行
さきにスタンフォード大学教授ゴヒーン氏から送られた論文(前号掲載)をめぐって、思想の科学の仲間で率直な意見の交換をしました。この討論のきっかけを作ってくださったゴヒーン教授に感謝します。討論に参加した人達は、○平沢和重(元外交官、ラジオ解説者)○武谷三男(素粒子論研究者)○鶴見和子(哲学・婦人問題研究者)○竹内好(中国文学研究者)○加藤秀俊(一橋大学学生)○鶴見俊輔(コミュニケィション研究者)
朝鮮戦争の受けとり方/批判の論法/農地改革と国連の過大評価/ディスコミュニケーション/民族自決の原理/背景アメリカ市民の意見/善意の立場
編者注1:ゴヒーン論文「哲学と現在の危機」を参照しなければ理解できない内容ですので、当該論文も次号に掲載するつもりです。
編者注2:ゴヒーン論文掲載の経緯(加藤秀俊『わが師わが友』より)
5.『経済記事の基礎知識』より「48 映画」 21
竹内好「わが回想」より【竹内好の著作】 21
6.Kさんが集めてくださった「語られ記」上 41


第二期竹内好を記録する会メール 第22号Ver.1
  2014年2月28日
目次
0.事務局より 1
1.記録探索グループの活動報告 2014年2月 2
2.田村泰次郎さんとの座談会 2
尾西康充「竹内好と国民文学論争―従軍体験と百花斉放運動―」 2
座談会「中国の新しい人間像」竹内好(評論家)、田村泰次郎(作家)、佐々木基一(評論家)、洲之内徹(作家)【竹内好の著作】 3
『群像』1951年5月号所収
中共党員に接して 4
中国と阿片 6
「宣伝」に見る中国人 7
奇型文化型態 9
革命の伝統 11
日本の作家と「中国人」 12
中国の新しい人間像とは? 15


第二期竹内好を記録する会メール 第23号Ver.1
  2014年3月31日
目次
0.事務局より 1
1.記録探索グループの活動報告 2014年3月 2
2.<松井博光さんインタビュー> 2
一枚のメモを作ってきました 3
竹内好という人が授業をやっているよ 5
ほんとに勉強するつもりがあるんならば都立大に来ないか 6
それから「魯迅友の会」のことですけれども 7
桜美林大の中文を作ることになった。そのときに、それを助けに行けというんで 9
『北斗』を作ったのは 11
『現代中国論』はショックでしたね 12
もし学部長に選ばれたらおれは辞めると宣言したんですね、竹内さん 12
都知事に自民党系の人がなると、安全なんですよ 15
新聞紙というのは、ふとんの替わりになる 15
短い言葉で「それは違う」っていうことをぴしっと言うんですよね 17
中国語をやろうと思ったら、まず料理屋でやったほうがいい 18
スキーをやった後の酒をうまい、うまいと好さんは言ってたから 19
永島栄一郎さんは策士なんですよ 20
それ慶応に売って、見に行ったことありますよ 21
先頭ですべりだしちゃったんです。それも好さんらしいんですよね 22
樺美智子さんが私の家へいらした記憶 23
民主主義を守るんじゃない。民主主義を作る会にしなければ駄目だ 24
3.「竹内好日記」に登場する丸山真男さん【竹内好の著作】
作成した本文は掲載しません。以下は概要となります。
4.丸山真男さんと竹内さんの関わりについての「語り記」「語られ記」 29
1)『転形期』1962年4月~1964年3月【竹内好の著作】 29
2)埴谷雄高 「竹内好」 31
3)埴谷雄高 「時は武蔵野の上をも」 32


第二期竹内好を記録する会メール 第24号Ver.1
2014年4月30日のつもりが5月19日
目次
0.事務局より 2
0)毎月送信の断念 2
1)前号(第二期第23号)の訂正 2
2)4月(2014年)に交流会開催 2
3)山田慶児さんへのインタビュー 3
4)久しぶりに読み物として『嵐に中の木の葉』第五章を掲載いたします。 3
5)前号までの総目次 3
6)別冊その1「賽金花」 3
7)別冊その2「第二期第01号」のPDFでの配信 3
8)北斗インタビューの訂正 4
1.読み物 嵐の中の木の葉 第五章 4
バックナンバーの掲載号 4
第五章 4
2. 第二期竹内好を記録する会メール総目次 19
  <省略>
3.別冊 その1 Ver.1.1 賽金花
[1]「賽金花」翻訳のころ3
資料1.「竹内好日記」より 【竹内好の著作】4
資料2.竹内好「現代中国文学の特質」【竹内好の著作】4
資料3.『竹内好全集』第 17巻「年譜」より 5
資料4.「竹内好日記」より【竹内好の著作】 5
資料5.『竹内好全集』第 14 巻「解題」より 6
資料6.竹内好「中国文学叢書」 刊行予告【竹内好の著作】6
資料7.『竹内好全集』第17 巻「年譜」より7
資料8.『竹内好全集』第14 巻「解題」より7
資料9.『竹内好全集』第17 巻「年譜」より8
資料10.竹内好、武田泰淳「対談中国文学」のころ【竹内好の著作】 8
資料11.竹内好執筆の「中国現代文学辞典1949 19491949年」より【竹内好の著作】8
資料12.『中国文学』第65 号掲載の「解説」【竹内好の著作】8
[2]賽金花の翻訳10
『賽金花』竹内好訳補【竹内好の著作】10
自伝の部(賽金花口述 劉半農筆記)10
1.生家の歴史〔連載時の表題は「家世」〕10
附言11
訳註11
2.幼少時代〔連載時の表題は「幼小代」〕11
訳註 12
3.雛妓の一年〔連載時の表題は「浮草稼業一年」〕13
4.洪鈞に嫁す15
5.欧洲にて16
附言 19
附 洪鈞小伝 20
7.上海に出でて妓女となる〔連載時の表題は「洪家を離れ上海にあつて妓女となる」〕 21
訳註 24
8.天津に金花班を開き及び北京南はじめる前後〔連載時は「~のこと」〕24
(註)26
訳註 26
9.拳匪の乱起り北京へ避難す〔連載時はこの項まで。〕26
訳註32
10.ヴァルデゼー将軍(1) を識る を識る 33
訳註 34
11.北京市民を救ふ 34
訳註 37
12.儀鸞殿〔ぎらんで〕の失火37
訳註13.ケットレル夫人を宥む 38
訳註 39
14.落馬 39
15.抱女の服毒事件 41
16.入獄と追放43
(註)45
訳註 45
17.再婚と余生45
(註)46
訳註 46
原序47
訳註48
解説の部(訳者補)49
1.晩年の賽金花 49
〔図版〕50
2.賽金花を描いた文学作品53
樊増祥「彩雲曲」53
曾樸「孽(げつ)海花」54
熊仏西「賽金花」57
夏衍「賽金花」59
3.義和団を描いた文学作品. 60
4.年譜 62
訳者後記 65
〔奥付〕 67
4.別冊 その2 第二期竹内好を記録する会メール第01号 一本に版 2014.0403
内容は重複するので省略する。


第二期竹内好を記録する会メール 第25号Ver.1-1
  2014年8月10日
目次
0.事務局より 2
1)不定期刊になります 3
2)立間祥介さんと市川宏さんが亡くなりました 3
3)山田慶児さん、吉田富夫さん、山田稔さんへのインタビュー(2014年5月31日実施) 3
4)北斗インタビューの訂正 4
5)竹内好と、サルトル・谷川雁 4
6)記録探索グループの活動記録 4
[1]これまでのインタビューの一覧とその進展状況 5
1.インタビューの進展具合 Ver.2-1 5
インタビュー第0回 胡冬竹さん 2009.0214 5
インタビュー第1回 大須賀瑞夫さん 2009.0412 6
インタビュー第2回「竹内好と岩波書店」(中島義勝さん、都築令子さん) 2009.0531 6
インタビュー第3回「竹内好と”サロン”火曜会」(金子勝昭さん、野田祐次さん、安田つたゑさん、当日ゲスト=重永博道さん、田辺貞夫さん、司会=木村聖哉さん) 2009.0712 6
インタビュー第4回「竹内好と普通社、勁草書房」(田辺貞夫さん) 2009.0905 7
インタビュー第5回「竹内好と都立大中文研究室」(松井博光さん) 2009.0912 7
インタビュー第6回 井出孫六さんの話を聞く会 2009.1128 7
インタビュー第7回 立間祥介さん、檜山久雄さん 2010.0418 8
インタビュー第8回 今井清一さん、楊子さんご夫妻  2010.0515 8
インタビュー第9回 中村輝子さん 2010.1205 9
中村輝子さん補充インタビュー 2011.0129 9
インタビュー第10回 野村浩一さん、丸山松幸さん 2011.1008 9
インタビュー第11回 竹内好と柿の会(守屋洋さん、丸山松幸さん、岸陽子さん、市川宏さん) 2011.1126 9
インタビュー第12回 市川宏さん、竹内良雄さん 2012.0527 9
インタビュー第13回 大石志げ子さん、飯倉照平さん 2012.0915 10
インタビュー第14回 北斗の立間祥介さん、佐藤一郎さん、宇田礼さん、(誌上参加の)阿部幸夫さん 2012.1201 10
インタビュー第15回 藤本幸三さん 2013.0702 10
[2]山田慶児さんのインタビューの資料として作成した竹内さんと京都に関わる文章 10
2.山田慶児さんと竹内さん 10
はじめに 11
3月7日の「通信」より 11
対談 中国――国家と根拠地【竹内好の著作】 12
竹内好(中国文学者)、山田慶児(科学史家)、『展望』1971年10月号
中国を知るために 八十五 清官 26
『竹内好全集』の「年譜」より 29
『竹内好全集』の「著作目録」より 29
3.竹内好と京都 Ver.1.01 30
「京都の縁」(『竹内好全集』第13巻)より【竹内好の著作】 31
『竹内好全集』の「年譜」より 31
1954年 31
1959年 32
1960年 32
1961年 33
1962年 33
1964年 36
1967年 36
1968年 36
1969年 36
1970年 37
1971年 37
1972年 37
1976年 38
補注:『中国を知るために』に記述された「京都」【竹内好の著作】 38
補注:京都の賢人 38
補注:京都商人 41
補注:青木正児さん 41
補注:吉川幸次郎さん 44
八十「紅葉と方位感覚」 44
補注:八十五「清官」 47
補注:富士正晴さんと竹内さん 47
富士正晴「三つの竹内好像」『竹内好全集第十一巻月報10』1981年6月 47
補注1)「竹内好未刊日記」1957年3月23日より【竹内好の著作】 49
補注2)猪野謙二「竹内好氏葬送の夜に」 49
補注3)『竹内好全集』第17巻「年譜」より 50
補注:桑原武夫さんと竹内さん 50
竹内好 『桑原武夫全集』第五巻解説 50
4.吉田富夫「ほな、またな」 55
[3] 以前から気になっていたもので、サルトルが参加したパネルディスカッションでの谷川雁さんの発言(鶴見俊輔さんや竹内さんの用心棒で出席しているという) 59
5.ベ平連討論集会記録 59
ベトナム戦争と反戦の原理――J.P.サルトルとともに――、『世界』1966年12月号【竹内好の著作】
<出席者>
J・P・サルトル、S・ド・ボーヴォワール、いいだ・もも、栗原幸夫、鶴見俊輔、海原峻、小松左京、鶴見良行、小田実、柴田道子、針生一郎、開高健、新村猛、日高六郎、笠原芳光、鈴木道彦、平井啓之、久野収、竹内好、深作光貞、窪田般若、谷川雁、武藤一羊
編集部まえがき
第Ⅰ部 ベトナム戦争と現代世界/行動の継続の重要性/ベトナムとフランス人/ボーヴォワールは答える/サルトルの問題提起/参加の全面性について/困難さの自覚を/直線的な行動の必要性/想像力を連帯の基礎に/全てを自身の問題として
第Ⅱ部 ベトナム戦争と日本の反戦運動/私のベトナム戦争観/"ファン"であることの意味/今後の活動方針/分裂を埋めるもの/総括と閉会のことば
6.竹内好が谷川雁に触れた文章 99
1954年「魯迅友の会」第十四号・雑記【竹内好の著作】 99
【飯倉照平「解題」】魯迅友の会・中国の会 99
1961年〔単行本『不服従の遺産』の〕あとがき【竹内好の著作】 99
終末観について【竹内好の著作】 102
【飯倉照平「解題」】終末観について 103
〔参考〕『不服従の遺産』まえがき【竹内好の著作】 104
1965年中国を知るために 十八 名を正さんかな【竹内好の著作】 106
【飯倉照平「解題」】中国を知るために 108
7.竹内好がサルトルに触れた文章 109
1946年「日記」【竹内好の著作】 109
1949年「ある挑戦」【竹内好の著作】 109
1950年「クロッスマン編『神は躓く』」【竹内好の著作】 110
1952年「若い友への手紙、Ⅰ」【竹内好の著作】 110
1952年「『日本再登場』【竹内好の著作】」 110
1955年「翻訳文学の十年」【竹内好の著作】 111
1956年「『現代世界文学全集』を編集して【竹内好の著作】」 111
1956年「魯迅の読者」【竹内好の著作】 112
1957年「東欧中東の激動に思う」【竹内好の著作】 112
1968年「むかしの講座」【竹内好の著作】 112
1970年「犬も歩けば」【竹内好の著作】 112


第二期竹内好を記録する会メール 第26号Ver.1
  2015年1月3日
目次
0.事務局より 1
1.「大川周明のアジア研究」の英文論考について 2
<Profile of Asian Minded Manシリーズ> 4
2.竹内さんの未公刊日記より 6
1)「行商の弁」【竹内好の著作】 6
2)未公刊日記の解読具合 7
3)未公刊日記の分量 8
3.会員からの情報など 10
1)北斗インタビューの訂正 10
2)憲法問題研究会 10
3)『近代日本文化人与上海(1923~1946)』 11
4)佛教大学公開講座 11
5)「中国の会」について 11
6)「思い出のワンシーン」 12
4.記録探索グループの活動 13
5.かく語られ記より 13
江崎誠致『宇宙に遊ぶ わが囲碁史』 14
小川哲生『生涯一編集者』 16


第二期竹内好を記録する会事務局通信 第27号  Ver.1-4  
(「第二期竹内好を記録する会メール」を改称しました。)
2015年4月18日
日本近代文学館収蔵にあたって  竹内裕子 2
0.事務局より 4
1)前号の内容について 2015.1.14 4
2)第3期における「記録をする会」の方針 2015.1.24 4
3)日記の公開について 石坂さんより 2015.1.25 5
4)1932年の日記のワープロ文を配信して 2015.2.3 5
5)2月21日記録探索グループの例会報告 2015.2.27 6
6)2月28日日本近代文学館との面談報告 2015.3.4 7
7)やっぱり大阪高校のことがわからないと修正不能部分がでるなあ 2015.3.4 8
8)大阪高校同期生による座談会「竹内好君を偲ぶ会」のワープロ化 2015.3.9 9
9)3月28日定例会の検討課題 2015.3.25 9
10)3月28日の会の報告 2015.4.3 10
1.竹内好君を偲ぶ会――座談会―― 12
1)座談会ワープロ化の経緯 12
2)著作権について 14
3)関連の「語られ記」 14
4)当時の大阪高校について   石坂正男 14
5)座談会の本文 15
① 入学、そして友人たち 16
② ストライキ 21
③ 大学 ――左と右と 27
④ 結婚、その後 31
2.竹内好住居跡散策(第二回)2014年11月15日 夏目久夫 35
目黒駅集合 35
長泉院 35
祐天寺 36
尾崎秀実の旧居地 36
「目黒村の不安」 37
代々木「中国の会」の事務所跡 37
<竹内好・祐天寺旧居地散歩案内> 39
<当日のコース> 40
3.丸山真男さんとの「対談」 41
【これまで「対談」の記録はなかった】 41
【どういう「対談」だったのか】 41
【わからないこと】 42
【どのくらいの時間がかかった「対談」だったのか】 42
【いつ行われた「対談」だったのか】 42


第二期竹内好を記録する会事務局通信 第28号 Ver.1-3 
2015年5月6日
目次
0.事務局より 1
1.未公刊竹内好日記翻読の会 2
2.1931年日記における事務局の注記 3
3.竹内好かく語られ記 <小ネタ>シリーズ
 その1 保田與重郎さん「「コギト」の周邊」 11
4.「かく語られ記」<小ネタ>シリーズ 
その2 杜宣さん 13
5.杜宣さんに関わる「語り記」「語られ記」
1)『転形期』1963年より【竹内好の著作】 14
1963年6月X4番目の日【竹内好の著作】 14
1963年6月X6番目の日【竹内好の著作】 15
1963年六月X7番目の日【竹内好の著作】 15
2)『竹内好日記』1935年より【竹内好の著作】 16
1935年六月七日(金)【竹内好の著作】 16
3)『魯迅友の会』第31号「雑記」より【竹内好の著作】 16
4)竹内好、武田泰淳「対談 私の中国文化大革命観」より【竹内好の著作】 16
5)竹内好、武田泰淳「対談「中国文学」のころ――時代、人びと、そして私」より【竹内好の著作】 17
6.杜宣「戦争前夜の青春」より 19


第二期竹内好を記録する会事務局通信 第29号  Ver.1-2  
2015年10月5日
目次
0.事務局より 1
1.会員交流会のお知らせ 2
2.日記翻読の進行具合 2
3.日本近代文学館へ寄贈の進行具合 3
4.「大川周明のアジア研究」の英文論考について(その2) 3
5.ホームページのリニューアル 7
6.竹内好かく語られ記 8
1)孫若聖「方法としての中国文学」
2)四方田犬彦の解説文(長与善郎『復刻版・少年満洲読本』2015年7月15日初刷)
3)飯田泰三「福沢諭吉の朝鮮問題への「政治的恋愛」について」
4)月刊誌『潮』2015年8月号の創刊55周年記念特集「『潮』の五五年――時代を彩る名言集」
5)成田龍一『加藤周一を記憶する』(講談社現代新書2015年4月20日発行)
6)木山英雄『北京苦住庵記 日中戦争時代の周作人』(筑摩書房1978年3月10日発行)
8)松尾匡『新しい左翼入門――相克の運動史は超えられるか』(講談社現代新書2012年7月20日発行)
9)島薗進『倫理良書を読む――災害に生き方を見直す28冊』(弘文堂2014年2月28日発行)
10)山口俊雄編『日本近代文学と戦争――「十五年戦争」期の文学を通じて』(三弥井書店2012年3月23日発行)
11)東方書店+人民中国雑誌社編『わが青春の日本――中国知識人の日本回想』(東方書店1982年9月29日発行)
12)原武史「日記」(『みすず』2013年6月号から2015年5月号)
13)対談、井上光晴さんと丸谷才一さん「二日酔いにも精力減退にも効く秘薬の話」(『膝を打つ 丸谷才一エッセイ傑作選2』文春文庫2015年2月10日発行
14)黒羽清隆「日中戦争前史」114~117pp.
15)佐藤泉「ワガミチヲユキトモニアユミマタワカレテアユマン 一九六〇年の竹内好、鶴見俊輔」『現代思想』2015年10月臨時増刊号
16)ローレンス・オルソンさん『アンビヴァレント・モダーンズ』(新宿書房 1997)
竹内好「“アジア”を語った思想家たち(その十):大川周明」(翻訳:倉重拓)【竹内好の著作】 12
1. 北一輝と大川周明
2. その生涯と著作
3. 思想
◆ 略年譜及び代表作品


第一期の総目次<抜粋>

「竹内好を記録する会」会員専用メール第39号 2010.1.20
添付 39-2号 酔翁対話【竹内好の著作】

「竹内好を記録する会」会員専用メール第40号 2010.2.16
添付40-2号 戦後から戦前へ(スライド付)【竹内好の著作】
添付40-7号 20090905 剛性のひと=井上光晴のこと【竹内好の著作】

「竹内好を記録する会」会員専用メール第53号 2011.2.24
第51号未送信添付書類の配信 3)附録 座談会 日本の新聞  城戸又一、小和田次郎、竹内好【竹内好の著作】

「竹内好を記録する会」会員専用メール第60号 2011.10.12
<目次>
竹内好 「アンケート 文学者の軍隊歴」 1
久米旺生 『竹内好全集』第17巻「年譜」 2
三谷昨七(旧姓及川) 「竹内好上等兵を語る」 3
岡谷市蔵 「竹内好さんと私」6
竹内好 「赤い米」【竹内好の著作】
竹内好 『中国を知るために』37 "ズーバ"の思い出“【竹内好の著作】 8
竹内好 「中国と私」【竹内好の著作】
竹内好 「屈辱の事件」【竹内好の著作】11
竹内好 「軍隊教育について」(「軍隊教育の問題性」)【竹内好の著作】13
竹内好 「復員日記」1946年【竹内好の著作】
  1946年4月19日~7月1日(抜粋)16
  1946年8月19日 21
飯倉照平 『竹内好全集』第15巻解題「復員日記」 22
竹内好 「復員日記」1946年 
  1946年8月25日~26日 22
竹内好 「浦和日記」1947年【竹内好の著作】
  1947年5月8日、8月9日、9月6日、9月13日 22
  1948年1月31日 23
竹内好 「転形期」【竹内好の著作】
  1962年12月18日~19日 23
  1963年1月24日、2月3日、3月10日、5月X日 24
竹内好 「八月十五日」【竹内好の著作】26
斎藤秋男 「回想・戦地体験」26
竹内好・武田泰淳 「対談「中国文学」のころ――時代、人びと、そして私」【竹内好の著作】28
斎藤秋男「幻覚のなかの“8.15”」43
桑原武夫 「竹内さんと私」 46
日高六郎  「軽々と歩く竹内さん」 47
高橋和巳、竹内好 「対談 文学 反抗 革命」【竹内好の著作】 47

「竹内好を記録する会」会員専用メール第61号 2011.10.28
添付 19750700「中国文学」のころ(石坂校正済)
添付 武田泰淳1975_月明、笛と風がきこえる(石坂対校済)

「竹内好を記録する会」会員専用メール第62号 2011.11.1
添付 1968.1102 福岡ユネスコ「シンポジュウム 近代日本における対外姿勢の変遷と今後の課題」
シンポジュウム 近代日本における対外姿勢の変遷と今後の課題【竹内好の著作】
〔このシンポジウムは1968年11月2日福岡ユネスコ主催「近代国際関係史講座」第3日に開催され、その後、年誌「FUKUOKA UNESCO」第5号(1970年1月発行)に掲載されたものである。明らかな誤植と判断した箇所は訂正した。〕司会 根津菊次郎(福岡ユネスコ協会常務理事、九州大学講師)、ディスカッサント 西尾陽太郎(九州大学教授)、竹内好(中国文学者)、蝋山芳郎(評論家)、阿部斉(成蹊大学助教授)、白井勝美(九州大学助教授)
添付 1971.0714 福岡ユネスコ 「北一輝の「支那革命外史」-日中関係の一考察-」【竹内好の著作】
北一輝の「支那革命外史」について(これは1971年7月14日福岡ユネスコ主催「第1回日本研究国際セミナー」第1日に開催されたシンポジウムの記録であり、年誌「FUKUOKA UNESCO」第7号(1972年1月発行)に掲載されたものである。)司会/橋川文三(明治大学教授)、ディスカッサント/竹内好(中国文学者)、山口一郎(神戸大学教授)発言者/ウィルソンAssoc.Prof.George M.Wilson (米国、インディアナ大学)、石田雄(東京大学教授)、エリソンProf.George Elison (米国、京都大学)、西尾陽太郎(九州大学教授)、高橋正雄(九州大学名誉教授)、岡本順一(西日本新聞論説委員)
添付 1972.0824 福岡ユネスコ「シンポジウム アジアにおける日本1972」【竹内好の著作】
1972(昭和47)年8月22日-24日、竹内さんが、福岡ユネスコ主催「第3回九州国際文化会議」に参加、第3日の「シンポジゥム アジアにおける日本」に出席して発言したものである。(前年にも同じ表題の記録があるので、年度を表題に加えた。)司会 高橋正雄(九州大学名誉教授 福岡ユネスコ協会顧問)、副司会 石田雄(東京大学教授)/橋川文三(明治大学教授)/山本登(慶応大学教授)

竹内好を記録する会会員専用メール第63号 2011.11.7
添付→「メモ 福岡ユネスコと竹内好」
竹内さんと福岡ユネスコとの関係/平川祐弘さんのこと/粕谷一希さんのおとぼけ? または悪質なデマ?


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