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父の思い出

田北誠一さんへ ― 一歩でも前へ出るために 父のてがみ―


 

田北誠一さんへ ― 一歩でも前へ出るために 父のてがみ―

この文章は魯迅友の会会報第34号に掲載されました。田北誠一さんは1964年当時、大分県立盲学校二年の学生で、魯迅作『阿Q正伝』の読書感想文が、全国学校図書館協議会の1964年全国コンクールの入選作に選ばれました。

父は田北さんのこの読書感想文を読んで、田北さんへ<てがみ>を書きました。

<以上の二篇は全国学校図書館協議会編 「読書感想文」(1964年全国コンクール入選作)-毎日新聞社-より転載。>

魯迅作『阿Q正伝』の読書感想文

‘魯迅をもういちど訳し直したい’父は長年この気持ちを持ち続けていました。いよいよ全面改訳の「魯迅文集」が筑摩書房より刊行されたのは、1976年10月8日でした。わずか3日前、武田泰淳さんは亡くなられ、父の文集は間に合いませんでした。

改訳を続けながら、この年の10月京都への講演で、「魯迅を読む」という題のはなしをしたのが最後となりました。翌年3月3日、父は他界し、霊前には刊行された二巻のみが供えられました。

父の改訳と註釈は途中となりました。全6巻の刊行にあたっては、父の仕事を知る多くの方々の協力をいただきました。

魯迅文集1~6 竹内好

応召により戦地に赴く直前に『魯迅』を著していった父は、永別に際し、<新訳魯迅>を途中に残して行きました。自分自身を魯迅によって洗うがごとく、訳と註に心血を注ぎ、「おれは長生きしたな」といって、66歳の春逝きました。

三十年余を経て、今年11月「魯迅文集」文庫版が復刊されました。筑摩書房の<是非復刊したい本>の一編に選ばれたのです。


田北誠一さん お元気でいらっしゃいますか。
病に倒れた父は、病院のベッドのうえで腕を伸ばし空に字を書いていました。病室で口述筆記をしていました。もうろうとした意識のなかでも、訳と註を指になぞって声に出していました。もう聞き取れなくなっても、続けていました。

父はずっと田北さんへ書いた<てがみ>を忘れずにいたと思います。魯迅の全面改訳の、そのひと文字ひと文字に、かつて魯迅と出会った人たちへ、これから出会う人たちへ、<立ち合う>おもいを込めていたと思います。

一歩でも前へ出るために。

田北誠一さん
田北さんは父に大きな励ましをくださいました。半世紀の時を経て、わたしは田北さんにお礼を申します。本当にありがとうございます。

どうかこれからも お元気でいらしてください。



竹内好全集第二巻 (筑摩書房)

田北誠一さんへ

竹内 好

 田北誠一さん――と呼びかけることを許してください。あなたが盲学校の生徒である、ということが私に特別の関心を引きおこさずにいませんでしたから。

 魯迅の作品が読書感想文で賞を受けたことは、これまでに何回かありました。しかし今度は、作者がお気の毒な境遇にある、ということで格別の印象があります。

 はじめ私は、あなたが点字本の「阿Q正伝」を読まれたのかと思いました。新聞で表彰式の記事を見て、そうでないことがわかりました。あなたはまだ視力を全部失ったわけではない。で、活字本で読まれたわけですね。あなたの受賞のあいさつを新聞から写しておきます。

 「前には自分の運命を悲しんだこともありましたが、一冊の本を読むごとに感想文を作ることによって、自己形成に役立たせることができました。私の衰えた視力はあとわずかな期間しか本を読むことが許されませんが、全盲になっても点字によって読書を続けます。そして心で本を読むという精神を持ち続けたいと思います。」

 このあいさつは「列席者一同の深い感動をさそった」と新聞記事は書いております。それはそうだろう、と私も思います。列席者ばかりではない。この本を読む多くの人に、おなじ感動をさそうでありましょう。もっともっと多くの人に、読書できることの仕合わせを訴えずにはいないでしょう。

 あなたの感想文に「現在の心の狭く心の弱い私」という語句があります。あなたのあいさつと照らし合わせてみると、この語句の意味が、いっそうよくわかります。痛いほどにわかります。

「心の狭く心の弱い私」という自己規定は、美しいと私は思いました。気ばらないで、自然であることによって、ある達成を示している、と感じました。田北さん――あなたは、自分のことばをもっています。ということは、思想をもっているということです。その代償としてあなたが支払ったものを考えるのはつらいことですが。「心の狭く心の弱い私」であればこそ、「阿Q正伝」の作者が、「人間の愚かさ、弱さに対する〝さけび〟と〝悲しみ〟を吐露している」とあなたは感ずることができました。

 この交感は、一つの出合いであります。その出合いに、訳者として私が立ち合ったということも、縁であります。田北さん――あなたは、どちらかというと、理性の勝った性格のようですね。キリストの生涯の「純潔」をうたがい、「他人の力や、哲学の森や、神の世界に、自己の魂を彷徨させ」たくない、とおっしゃるところ、私から見て、少しこわいくらいです。きっとあなたは、周囲から「しっかり者」と見られているのではありませんか。

 そのあなたが、「作者のユーモラスな筆致につられて何度も失笑しながら」この小説を読み進んだ、と書いていられるのを、訳者である私は、わが意を得た、という印象で受けとりました。さすがに魯迅は大作家だが、訳者である私も、いくぶんの功績は認めていただけたわけでしょうね。

 あなたに向かって、へたな同情を表明することはやめます。私にはあなたの不幸を分有することはできませんから。しかし、同様に、あなたも私の不幸を分有することはできないわけであります。私は私なりの狭く弱い心を忘れずに、自分の仕事にはげみましょう。一歩でも前へ出るために。

 田北さん、田北さんの御家族、友人、そして多くの心弱い人々に、友情のあいさつを送ります。


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<解題 田北誠一さんへ 1965年4月20日発行『第十回読書感想文(中学・高校の部)』(全国学校図書館協議会編、毎日新聞社刊)に発表、『魯迅友の会会報』第34号(1965年5月、同会刊)に田北誠一の作文とともに再録、本全集にはじめて収める。第十回読書感想文全国コンクールの高等学校の部一類で文部大臣奨励賞を受けた、大分市県立盲学校二年田北誠一の「『阿Q正伝』を読んで」と題する作文に添える「作者のことば」として書かれたもの。(飯倉照平)>

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