姿に学ぶ ―三年を終えて―
2008年12月に、「竹内好を記録する会」を発足いたしましてから、今年2011年、三年目をむかえました。この会は、活動期限を三年と決めておりました。本日ここに、三年の活動の終会のお礼とご報告を申し上げます。これまでの間、たくさんの方々のご協力をいただきました。わたしたちは心からの感謝を表し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

これまでのことを思い起こしております。なにもかもが手探りの中でした。どこの何者かも知れぬわたしたちの、突然の依頼に応えてくださった方々。インタビューをお願いした方々(交通費も謝礼もなしでした)。資料や記録、文章や写真をご提供いただいた方々(権料も謝礼もなしでした)。これ以上ないぶしつけなお願いに、あたたかなご支援をいただきました。父の生誕百年の集いには、海をこえてたくさんの方々にご参加いただきました。本当にありがとうございます。
集いの年、母が亡くなりました。母は自分の手で父の整理をしてこなかったことを、大変悔んでおりました。「竹内好を記録する会」のできたこと、協力する方のいらっしゃることを伝えますと、父の写真に手を合わせ、感謝をし、喜んでおりました。
母は今、わたしのもとにおります。まだ納骨をすませておりません。事情のある中でのことですが、会の終会とともに、来春父のもとに眠ることも決りました。きっと安堵してこれからを、父とともに見守ってくれることと思います。
この会は、会員全員が自ら会費を払い、手弁当・自腹・休日返上の活動でした。この三年間で収集したものは、数千に及んでおります。それを整理し、着々とデジタル化も進めております。インタビューを起し、最終の文章にするまで、幾度となく手を入れていくことに、インタビューの方にも再度のご協力をあおぎました。そしてこの至難の作業も、会員自らが行いました。ようやくそれらのものが整いつつあります。貴重なおはなしや資料からは、父のみならず、時代を生きた方々が生き生きとして目の前にあらわれてまいります。
<人は人のなかに生まれてくる>
<いのちはいのちのなかに生まれてくる>
そして、
<生きたあかしも、また、人のなかに在る>と。それを教えられた三年間でした。
しかし、実際のところ、父の残したものはほとんど手つかずのままです。実物の整理も是非しなくてはなりません。ようやく見え始めたつながりも、かたちあるものにしていきたい、その思いもあります。それで、終会の時に提案をし、「第二期竹内好を記録する会」を始めることにいたしました。「第二期竹内好を記録する会」は、会則・会費のない活動になります。
新しいご報告は、ホームページを通して行うことに決めました。このホームページを三年にわたって一手に引き受けてくださったのも、ひとりの若い女性でした。細やかな心配りをしてくださり、助けてくださったこの方に、第二期もお願いできればと思っております。これからもわたしたちの活動を、このホームページを通してみなさまにごらんいただけましたら幸甚に存じます。
この秋、韓国で父の本が出版されました。2007年日本経済評論社刊行の『竹内好セレクション』Ⅰ・Ⅱの翻訳です。この本自体、日本でも、若い女性編集者の長い時間をかけた熱意によって刊行されました。
それを韓国の青年研究者ユン・ヨイルさんが翻訳をし、訳者の考えで、その中に新たに『朝鮮語のすすめ』 と写真が加わりました。2008年秋、離日にさいしヨイルさんはわたしの手を握り、「必ず翻訳出版をします」といって別れました。それから四年余の時をかけ、数え切れない困難を解決しながら、ヨイルさんは出版を実現されました。<約束>を果たされたのです。
この時、わたしからも、<もうひとつの約束>をしました。「必ずハングルを勉強します」と。しかし、わたしは見事にこの約束を破ってしまっております。<約束>とは何なのか?わたしはヨイルさんに厚い謝意とともに、弁解とおわびのことばを探しております。
父も『朝鮮語のすすめ』をしておきながら、挫折したひとりです。ハングルの発音のむつかしさ、更に聴きとることのむつかしさを書いております。わたしも「ん」のところでどうにもならなくなりました。聴きとることも、発声もできず、あっさり投げ出しました。へこたれなこと、恥ずかしくてなりません。
父は中国語の発音のむつかしさについても、幾度となく申しております。父の残したノートには、その苦闘のあとがたくさん残されています。かつて父は「中国の会」事務所で「中国語教室」を開き、ひたすら発音発声を教えていました。参加された方々が、そのことを書き残しておられます。
ハングルも中国語も、学ぶには<耳>が必要です。語る「口」よりも、聴く「耳」が。「耳」は「目」にもつながるでしょう。「目」は「手」につながっていくでしょう。「手」は<その人>につながります。
<語るより、聴くこと> それこそが<対話>である、といった父のことばがよみがえります。中国の孫歌さんも、父の著作をご自身でセレクションし、母国で初めてとなった翻訳出版に五年近くをかけられました。翻訳そのものに加え、ヨイルさんと同じように、出版にこぎつけるまでのありとあらゆる手続きを、ひとり引き受けて刊行を実現されたのです。
一研究者のひとつの仕事、としてではなく、あらゆることを引き受けて行動していく根気と決意と情熱を、それが何年かかっても、やりぬく努力を、わたしはおふたりから学びました。そして、「竹内好を記録する会」の三年間に学びました。
大陸。 半島。 島。
ちがうことを知る。知ろうとすれば、それぞれの地に生まれ、その地の血と歴史を生きている人に出会える。
出会いは<宝>。わたしはこれからも学んでいきたいです。挫折、とん挫、へこたれにめげず、学んでいきたいです。父と父の時代のたくさんの人も、きっとそれを教えてくれるにちがいありません。ホームページの『著者の言葉』で、父は「ひたすら発掘だけに熱中した」と書きました。そして夕暮れて、その発掘した<石>を、ついに玉人に渡さず、なんと、見ず知らずの道ゆく人に、「磨いてくれませんか?」と託したのです。道ゆく人なら、わたしも受け取ってよいのですね。
研究者ではないこと、語学も学問もないこと、ずっとその自分を恥ずかしく思い、怖れてきました。でも今はその臆する心を脇に置いて、学びたいという思いと、知りたいという気持ちを持って、「第二期竹内好を記録する会」に臨んでまいります。
姿に学ぶ。
ともに学びあう朋とともに、それを「記録」してまいります。
みなさま 三年間ありがとうございました。
これから迎える新しい年もきっと厳しいことでしょう。
みなさまのご無事とご健康をお祈りいたします。
そして、もしよろしければごいっしょにこれからを
「玉か石か保証はしないが、ひとつ試してみませんか?」