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父の思い出

洪水 -大雨の記憶-


 

洪水 -大雨の記憶-

大雨今年の夏も、大雨の恐ろしさが、毎日のように報道されている。赤茶色の水が、家の中まで押し寄せてくる恐ろしさ。私も、幼いころの記憶がよみがえります。


あれは何年だったのか、前後の記憶はありません。突如として赤茶色の水が、庭一面に膨れ上がってくるのを、今でもはっきり覚えています。

父はすでに首にタオルを巻いて、寝室のタタミをあげていました。居間の床スレスレに、水は盛り上がってきます。我が家は、父の書斎に小さな二階があるほかは、平屋建てでした。わずかに離れの和室が、15センチくらい高くなっていて、父は母といっしょに、いろいろなものをここに運び入れていました。

兄と妹の記憶がありません。どうしていたのだろう、、、

膨れ上がる赤茶色の水面を、離れの部屋のすきまにもぐって、じっと見つめている記憶があるだけです。


居間の床と水面の差がなくなったところで、「もう入ってくることは覚悟して」と、父は私たちを諭しました。
悲しくて、涙があふれました。
見つめ続ける水面は、それでも居間の床とギリギリのところで止まりました。

夜が明けて、陽が高くなると、~ 家のすぐ脇の道に、ボートがやってきたのです! 春の井の頭公園で、夏の善福寺公園で、乗っているあのボートが!両脇を支えるようにして、二人の男の人が押してきました。その人たちに、父は明るい声で呼びかけていました。


濁った水はそれから数日引かず、ゆっくりカサを下げて行きました。そのドロ水の中に、何匹ものフナがはねたのです。
あっちのドロ水にバシャ!  こっちでもビシッ! 黒い大きな体をくねらせて、はねました。

父は庭に小さな池を作り、金魚をいっぱい飼っていましたが、全部いなくなって、庭はフナだらけになりました。

見つけてはバケツに捕まえて、善福寺池に放しにいったのは、兄だったかもしれません。

このころ、すぐ近くの辻角に、武田夫妻が陣中見舞いに来てくれました。「やあ!本当につかってる!」武田さんも、百合子さんも、感嘆の声をあげて、離れの部屋まで聞こえてきました。

父はゴム長をはいて、「よく来てくれた!よく来てくれた!さあ、こっちへ!」としきりに誘うのですが、さすがにこのドロ水の中を入ってくるのはためらわれたのでしょう。「今日は、見学。見学。」といって、帰っていかれました。父は残念そうでした。


この濁流は、我が家では床下で止まりましたが、西の方には大水となって流れ込んだのです。私の通う小学校を挟んで、西側は坂が下っていました。

あとから聞いたことです。急な水に逃げ切れずに、天井に貼りつくようにして亡くなったこどもがいたことを。
私と小学校がいっしょの子にちがいありません。


水がひいてから、家のまわりをぐるりと、黒い線がシミになって残りました。父は消毒や後かたづけに奔走しました。母は洗いものに追われました。いつもの生活に戻っても、ドロ水のにおいはなかなか消えませんでした。

<あと、1センチ>の記憶が、雨の音によみがえります。


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