本文へスキップ

父の思い出

父のことばをひろって-第1回-


 

父のことばをひろって-第1回-

第1回は、先回の『ながーい ながーいおはなし』から。

このおはなしは、ずうっと父のオリジナルだと思ってきました。
オリジナルというほどのものではありませんが、それはおいといて。

 今年4月に、大須賀さんのおはなしを聞く会がありました。
その席で、新しい発見がありました。当日、大須賀さんから「私も父の“ながーいながーいおはなし”で、毎晩ねかされていました。全く同じ内容のおはなしです。私も父のつくった話と思っていましたから、裕子さんのおはなしにびっくりいたしました。あるいは、父たちもそのようなはなしをきかされて育ったのでしょうか。何かそのような時代と層があるのでしょうか」

 60代の大須賀さん、50代ギリギリの私、ともに父世代は100歳になろう、という年齢です。案外これは、日本の家庭の伝承の話なのかもしれません。

  いつごろ語られ始め、どこまで拡がり、今はどうなっているのか。子どもをねかす、呪文のようなおはなしのことを知りたくなりました。これも広い意味での記録になるでしょう。               

子どものための一日一言
竹内好のこども向け読み物 「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」所収
『子どものための一日一言』(麥書房 1958年)


 そこでHPをごらんのみなさまにおたずねいたします。ご記憶の中に、このおはなしはありませんか。よかったら、おきかせいただけますか。HPの掲示板でおまちしております。

 「日本の父の昔話」そのルーツをたどってみたいです。どうぞよろしくおねがいいたします。


余談を
 大須賀さんも、お子さんを育てられる中で、このおはなしをきかせてねかしつけていらしたそうです。

 ある時、創作意欲が湧いて、この「ながーい、ヒモ」の元を、「そのヒモは・・・・・・鬼のふんどし!!」とやったら、トロトロねむりかけていたお子さんが、パッチリ目をひらいて、すっかり興奮して、おきてしまったそうです。

 いやはや。このおはなしの、「つづき」はないほうがよさそうです。


ナビゲーション