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父の思い出

火事 ―火と道の記憶 その2―


 

火事 ―火と道の記憶 その2―

父が武蔵野の地に家を建て、23年をすごした中で、二度、火事を経験しています。『転形期』や<全集>の日記には、火事のことが書かれていません。どうしてなのでしょう。夜の闇が朱赤一色に染まる光景は、わたしだけでなく、十歳年上の兄も覚えていました。兄の記憶では、1960年(昭和35年)以前の出来ごとのようです。


それは冬の始まりか、あるいは終わりのころのことです。風のない静かな晩でした。突如、父がはね起きました。寝ている部屋の雨戸を開け放つと、東の空はほてるように朱く染まっています。いつも見ている前田さんの家が、湯気のようにゆらぐ朱赤の空に屋根の線をくっきりと残して黒く沈んで見えました。

火事

わたしは父を探していました。どんなに探しても、どうしても父が見つからないのです。母はあちこちに行き来して、振り向いてくれません。兄も妹もどうしていたのでしょう。この火事に父はどうやって気付いたのか。もしかしたら前田さんのおうちの人かもしれません。あるいはただならぬ気配に、だったかもしれません。我が家にはまだ電話は引かれていませんでした。南側の庭にもすでに火の粉は降ってきていました。前田さんのおうちを飛び越えて、バラバラと落ちてきます。地面についてもすぐには消えず、チロチロと虫のように動いていました。

外気は怒気をふくんで部屋の中まで入ってきました。メリメリッ、バキバキッ、なにかがはぜる音がします。焦げ臭いにおいも、どんどん家の中まで入ってきます。人のどなり声、サイレン、なにもかもが入ってきました。どのくらい経ったのか、「もう大丈夫だ、心配はいらんよ。」父の声を聴きました。

「さあ、ねるとするか、、、」現れた父はそういうと、すぐにふとんにもぐってしまいました。空はいつのまにか赤みが消え、暗くなっていました。外ではまだ人の声が行きかっています。消防の作業もまだ続いていました。

「パパがそういうから大丈夫よ。」母も雨戸を閉めて床に入りました。十歳ころまで、わたしは父といっしょにねていました。ふとんにもぐると、父はいっぱい汗をかいていて、体中から焦げ臭いにおいがしていました。我が家はそのままもう一度眠りにつきました。


翌朝になって、火事はおさまっていました。何かのはぜる音も、大声も聞こえません。延焼をまぬがれた前田さんのおうちは、屋根から水が滴り落ちていました。一晩中、ざんざん水をかけていたそうです。東側の部屋には放水の水が入って散乱していることを、末っ子の富雄ちゃんからおしえてもらいました。

人が行きかったために、お庭はぐちゃぐちゃになっていました。父もここを行き来していたのでしょう。前田さんのおうちに水をかけることを消防にかけあったのは父でした。そしてもう大丈夫なことを確かめて帰って来たのでした。

火事の夢それからわたしは何度も同じ夢を見るようになりました。いつのまにか夢の中で石炭になっているのです。父のすくったシャベルの上に乗っかって、扉の開いたダルマストーブの中に、、、 ゆらゆらメラメラ 炎が近づいてきて、、、、、 べそをかいて目を覚まします。こわい、こわい、わたしは泣きました。そしていっしょに、おねしょをしました。

ふとんの取り換えやら、着替えやら、母の怒りまくる顔を覚えていますが、<運命共同体>の父に、叱られた記憶はありません。

もうひとつの火事は、おそらくわたしの中学生のころ。東の筋を丸山さんのおうちに寄ったところで、昼間に起きました。

おはなしは続きます。


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