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父の思い出

五年 -記憶をかさねて その4-


 

五年 -記憶をかさねて その4-

京都写真1父と出かけた京都の旅は、晴天に恵まれました。戻ってきてから、父はすぐに写真を現像に出しました。そして出来上がった写真を渡してくれました。その時、ぽそっと言ったのです。「記念写真になったかな、、、」

あーー  そうだったのかあーーー

中学三年の秋、わたしの初めての修学旅行は京都奈良でした。専用列車「日の出号」で夜通し駆けて往復する旅でした。その旅行にカメラを持っていきたいと、わたしは父にせがみました。父は最新の小型カメラを貸してくれました。当時のカメラはすべて手動です。ピントも自分で合わせなくてはなりません。初めて扱うわたしに、父はいろいろ説明してくれました。フィルムの入れ方もむつかしく、なんどやってもうまくいきません。父が見かねてセットしてくれました。

旅行中、わたしは夢中で写真を撮りまくりました。得意になって友人達にあげる約束をしました。いっぱいのお土産と、撮りためた写真と、意気揚々と帰宅したわたしは、早速写真を現像に出しに行きました。

数日して、ワクワクしながら出来上がりを取りに行くと、店員さんがすまなそうな顔をして、紙包みを差し出しました。いわれるままに見てみると、なんということ! なんにも写っていません! フィルムはカメラの中で空回りをしていました。

泣く・怒るわたしは大泣きしました。夕食の席で、父をののしりました。悲しくて、くやしくて、涙も言葉も止まりません。それなのに、父は謝らないのです。しまいには、「しつこい!」と、反対に怒って席を立ってしまいました。

何日父と口をきかなかったでしょう。目も合わさず、あいさつもせず。わたしの怒りがおさまったのは、いつころだったのでしょう。

京都21964年10月の修学旅行から、五年が経っていました。五年後の秋、父はわたしを京都に誘い、嵐山で、南禅寺で、清水寺で、写真を撮ってくれました。

五年謝らなかった父が、何枚も何枚も、シャッターを押してくれました。そのレンズに映って、写真の中のわたしは、父を見つめておすましのポーズをとっています。

2008年12月シンポジウムの帰りに、娘の夏実を連れて、祇園から丸山公園をぬけて八坂神社へ、更に嵐山に行きました。紅葉が照り映えて、そして散り敷いていました。

修学旅行生がいくつものグループになって、わたしの横を通り抜けていきます。嵐山の河原には、集合写真の台が連なって置かれてありました。

1969年の、1976年の、10月の日が、暮れていく京都の空に重なっていきました。

京都3


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