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父の思い出

10月18日 -記憶をかさねて その2-


 

10月18日 -記憶をかさねて その2-

10月18日と、その日を囲む数日のことを、強く記憶する年として、1976年10月17日から19日クリックで拡大しますのことをおはなしします。

岩波書店の文化講演会が、この間京都で開かれました。父は「魯迅を読む」という題で、18日京都会館で講演をしました。講演会の直前に、岩波書店の田村義也さんと都築令子さんから連絡をいただきました。父を気遣ってのことでした。
自筆原稿
武田泰淳さんとの永別。10月5日 武田泰淳さんは亡くなられました。駆け付けた父は、武田さんとのおわかれに間に合いませんでした。

この日から、お通夜、ご葬儀、10日の青山斎場の告別式まで、父はずっと武田泰淳さんのそばにいました。

10日の告別式の日、わたしたち家族はあとから、青山斎場におわかれに行きました。式の前、控室に父を訪ねていくと、奥の席に夫人の百合子さんとお嬢さんの花さんを両の手にかかえるようにして、父は座っていました。もうだれも近寄れないただずまいでした。

おわかれをして、わたしはそのままそっと家に戻りました。その晩遅く帰った父は、帰るなり無言で布団に横になりました。顔は土の色をしていました。


京都行きは目前に迫っていました。それでも岩波書店の田村さん都築さんのおふたりは、講演中止も、と申し出てくださったのです。

父の答えはNOでした。この講演はどうしてもしたい、と父の気持ちは変わりませんでした。17日都築さんが迎えに来られ、予定通り、父は出発しました。京都には田村義也さんが同行されました。


18日当日の朝、急に父は思いついて、鶴見俊輔さんのご自宅を訪問しています。連絡なしのことで、鶴見さんはご不在でした。夫人の横山貞子さんが迎えてくださいました。

横山さんもこの日は大学の講義のある日で、お出かけの時間が迫っていました。父はご夫妻の新築の書庫をみせてほしいとお願いしたそうです。昨年12月のシンポジウムでうかがいました。

無理強いのようなお願いをきいてくださって書庫を見せていただいて、父は至極機嫌がよかったそうです。ご一緒された田村さんは、冷や汗の大汗をかかれたと、おっしゃっておられました。

19日の帰路 指定の新幹線の予定を早めて帰りたい、と父はいいました。東京駅に岩波書店の中島義勝さんと都築さんが出迎えてくださいました。父の慰労の席を用意してくださっていましたが、それも断って、父は帰宅しました。帰るなり布団に横になり、そのまま夜も起きてきませんでした。


2008年10月18日 

現在、母はケアハウスで生活をしています。母の住まなくなった家の風通しに出かけ、少しずつ本棚の整理をしていて、一冊のカセットテープの本をみつけました。

カセットできく学芸諸家 第2集-岩波文化講演会からー1976年10月 竹内好<カセットできく学芸諸家 第2集-岩波文化講演会からー1976年10月 竹内好 ‘魯迅を読む‘ 岩波書店 NHKブックセンター1988年11月2日 >

このテープのあることを全く知らなかったわたしは、20年後のこの日、初めて手にしたのでした。

12月、鶴見俊輔さんが編集グループSUREと思想の科学の方々と二年をかけて企画してくださった父のシンポジウムが、京大会館で開かれました。わたしはこのテープを持って、この集いに参加しました。

テープには父の少しかれた声が入っていました。落ち着いて、こころもちゆっくりとした声は、講演の始めに、武田泰淳さんが亡くなられたことを話していました。ほんのひとこと、さらりと話して、淡々と本論に入っていく父の声が耳の底に残ります。


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